私は中学生の頃からサザンオールスターズが好きでたまりません。
元々小学生の頃はゴダイゴが好きで1982年の紅白歌合戦での桑田佳祐の三波春夫のパフォーマンスでサザンオールスターズが嫌いだったのですが、中学生になって吹奏楽部に入部して練習曲で「ミス・ブランニュー・ディ」を演奏したのがきっかけでサザンオールスターズが大好きになったのです。中学2年で吹奏楽部で練習曲「バイバイマイラブ」を演奏して更にサザンオールスターズ熱が増したのですが、中学3年生で残念ながら、サザンオールスターズは活動休止になり「KuwataBand」が結成され、春に吹奏楽部で「Ban Ban Ban」を演奏してやっぱり桑田佳祐は凄いと思いました。夏休みにはLPを購入し聴きまくりました。その頃は鳥取県米子市に住んでいたので、お金もそんなになくコンサートに行けるはずもなく楽しみは友達にレンタルしてもらったアルバムを聴きまくりました。高校3年生の終業式後にあの幻の「すいか」を昔の「Daiichi」で購入して、帰っては聴いて感動したのを覚えています。「すいか」は当時1万円だったのに何故その頃そんなお金があったかは不明です。
高校を卒業して早速「サザンオールスターズ応援団」に入会して会報を待ちわびて、毎日がサザンオールスターズの生活でした。
そして、1992年に「世に万葉の花が咲くなり」がリリースされ、購入し聴きまくりました。このアルバムは小林武史が桑田佳祐と共同で作業した経緯があり、とてもポップな曲が並んでいます。そして遂にサザンオールスターズが秋に広島にコンサートに来ることになったのです。
私はもちろん2日間応募して当時の彼女を誘って行く事にしました。
1日目、私は仕事を早退して広島バスセンターで彼女が広島につくのを待っていたら、渋滞に巻き込まれて着いた時には既にバスは広島についていて彼女を探すハメになったのです。
せっかくのサザンオールスターズのコンサート初日だというのに私は広島市内のホテルに当時携帯電話がなかったので会場の広島サンプラザの前の公衆電話で彼女が宿泊していないか電話しまくってようやく9時過ぎに場所が分かりました。・・・せっかくのサザンオールスターズのコンサート、初めてのサザンオールスターズのコンサートが彼女のせいで台無しになりました。その日は泣く泣くあきらめて帰りました。
2日目、まず彼女の宿泊したホテル「ホテル川島」に行って彼女と再会しました。彼女に昨日の事を話すとなんとあっけらかんにしているでは
ありませんか。私は怒るのを我慢して話を聞くと、チケットは私がもっていたのですが、警備員さんに事情を話すとなんと広島サンプラザに入れてくれて、なんとサザンオールスターズのコンサートを見たというではありませんか。この私の前を差し置いて・・・。
そして遂に広島サンプラザに到着してサザンオールスターズのコンサート2日目を堪能しました。座席もアリーナの22列目の真ん中くらいで
良席でした。1曲目の「ネオ・ブラボー」からワクワク感が止まらず「やっとサザンオールスターズに会えた」という感動で胸が熱くなりました。
コンサートはとても充実していて最初はどう盛り上がればいいか分からなかったのですが、周りを見渡すと手拍子、ジャンプといろいろな楽しみ方をしている人がいて私はジャンプしている人を真似して盛り上がりました。
「やっぱりサザンオールスターズはいい!!!!」、そんなコンサートでした。
