カントの著作『純粋理性批判』の説明文の大まかな概要を抜き書きすると
『純粋理性批判』は、理性認識の能力とその適応の妥当性を「理性の法廷」において理性自身が審理し批判する構造を持っている。ゆえにそれは哲学(形而上学)に先立ち、理性の妥当な使用の範囲を定める哲学の予備学であるとカントはいう。
カントは理性がそれ独自の原理にしたがって事物を認識すると考えるが、この原理は理性に経験にあらかじめ先立って与えられる内在的なものであり、理性自身はその起源を示すことが出来ず、またこの原則を逸脱して自らの能力を行使することも出来ない。換言すれば、経験は経験以上を知り得る事ができず、原理は原理に含まれる事以上を知り得ないのである。カントは理性が関連する原則の起源を、経験に先立つアプリオリな認識として、経験を基礎とせず成立しかつ経験のアプリオリな制約である超越論的な認識形式にもとめ、それによって認識理性の原理を明らかにすることにつとめる。
とあります。
読解作業に少しプレッシャーがかかりますので、簡単なモデルで考察してみます。
人間との囲碁の対戦において、ディープ・ラーニングというアルゴリズム形式で開発された人工知能が使われました。
一般的に囲碁のように、次に打ちうる手が理論上はほぼ無数にある行動選択で、すべての選択肢を検索し、それの可否を吟味するのは、いくらコンピューターの演算速度が飛躍的に向上した現代とて、時間的に不可能です。
過去の有名な囲碁棋士の手をすべて記憶させたところで、思いがけない突然の局面展開に対応出来ませんし、しかもこれでは単にデータを保管しているだけで、自立判断はされませんから、人工知能なんかではありません。
ここで、ディープ・ラーニングの手法をブロック崩しゲームとの対戦で説明すると、コンピューターには予め何の判断基準もあたえられていませんから、行動は赤子と同じで、何も出来ず、相当の回数は0点のゲームが続きます。
ある時偶然、ラケットにボールが当たり、少し得点が入ります。
こうして、コンピューターはボールにラケットを当てると得点が入ることを学習します。
人間がコンピューターに前もって与えた指示は「高得点を目指せ!」だけですから、コンピューターはこのラケットの移動の効用を知り、それを深化させます。
以下、コメントに続く