今から一昔前や二昔前ではなく、かなり以前の話です。
大学を卒業し、採用試験に受かった私は、ある職種のある職場で働き始めました
一人の大先輩をはっきり覚えています。
私が働き始めた時、彼(のぶやさん)(特定されるのを避けるため、漢字表記はしません
)は50代半ばの好々爺でした
当然、数年後には定年退職です。
彼の趣味は円空のように木彫りの菩薩を作ることでした。
その趣味を生かそうと、定年退職後、奥美濃(郡上よりもっと高山寄り)の寒村の空き家を買い取り、奥さんのみゆきさんと移住しました。
子供たちは仕事がありますから、同行出来る訳ありません。
元々、身体がそんなに丈夫でない奥さんは、体調不良で寝込んでしまいました
彼は最愛の奥さんの看病に、身を粉にしたのでしょう。
60代前半で亡くなってしまいました
私とは意見の食い違いで、議論、喧嘩をしたこともありますが、基本的に好きな方でした。
おそらく、丈夫でない奥さんを同行させたことへの悔いもあり、自分が出来る以上の看病をしたのだと思います。
先日、実家に帰った時、おばあさん(父の母)の話になり、私は自分の母に、おばあさんの看病をしたのかと尋ねました。
おじいさんが、おばあさんの看病、身の回りの世話、すべてを行い、母は介入させてもらえなかったそうです。
おばあさんはおじいさんより20歳以上年下でしたから、おじいさんにしてみたら、かわいい娘だったのでしょう
おじいさん、おばあさんの思い出
なお、当時は自宅で療養するのが普通で、病院という選択肢はありませんでした。
同じ年に、おばあさんの後を追うように、あっけなく亡くなってます
私の父もあっけなく亡くなってますから、母は誰の看病もしたことがありません
私も同様です。
私が事故で危篤状態になった頃は、病院の危機状態通報装置が発達していましたから、見舞いは受けたものの、夜通しの看病なんてありませんでした。
母なんか3人姉妹の長女ですが、私が入院中には3人姉妹でピクニック気分で見舞いにきました。
そして、妹たちと私の病室に泊まり込んでいきました。