日本語は中国から文字、漢字を取り入れています。
それ以前には日本に文字はなかったのか?ですが、実はあったと言われています。
ひらがな、カタカナは漢字の変形バージョンに過ぎません。
でも、漢字とひらがなが混じった文章は、日本語をより深化(進化!?
)させました。
先人の知恵には敬服します。
ただ、気にくわないのは、漢字だけでなく、概念までも取り入れてしまったことです。
「今日から水無月」に書いたように、単語として、「神」、「鳴る」を取り入れたのは理解できますが、複合語としての「上鳴り、神鳴り」まで中国語表示の「雷」に置き換えてしまったのには、不満大です。
まあ、中国の文献をすらすら読むためには、このような置き換えが必要であったことは確かですが。
それでも、「雷」に統一するのではなく、「上鳴り、神鳴り」表記も残して欲しかった
今、気になっているのは「甦り、蘇り(よみがえり)」です。
一度、死んだ状態になり、黄泉の国(よみのくに)に行ったのですが、何かの拍子に生き返り、黄泉の国から帰って来る、これが「甦り、蘇り」である訳ですが、本来は「黄泉がえり」でしょう。
ついでに言うと、この「蘇り、甦り」の漢語表記は「蘇生」または「甦生」ですが、私は、何故、「蘇甦(そせい)」でないのか、不思議です。
中国では、どのように表記するのだろう?
私は国語能力は低いのですが、あるいはそれゆえかも知れませんが、このようなことが気になり出すと止まりません。
徹底的に調べる場合もあります。
とにかく、大和言葉をもっと重要視して欲しいと思ってます。
言葉は単なる意思伝達の媒体だけではなく、言葉自体の中に、思想、魂があるのだから
恐怖の黄昏時
不思議な言葉