太陽王法の会 -9ページ目




『太陽一如の悟りへの道』   



万界悉く一義の法を変化応現して開き与えてどこからでも全てを宗本義、真如へ至らしめんとなすのが、唵・阿毘羅吽欠の大日如来である。


ゆえに本地真如にそいて万界万宗万法と見じて、あまねくそれを導きゆくと教えるなり。


全てを否定せず、明るくおもいきり肯定して正道に導き、現在と未来を大きく羽ばたかせ、輝く真実の命を生きさせんとなすのが、我等大日界の太陽の世界である。


太陽の如く陽気に元気に、活動的に今と未来と人間の命を完成形成、進歩進化させて、天と羽ばたき、輝きゆく太陽一如の法と教えるなり。


ゆえに全てを悉くまた導きゆくは、太陽大日ゆえに当たり前とは言うなり。


ただ一切を真理に至らしむるを目的となすに、全てをして真と生かすなり。


宗とは本来明るく元気で、陽気な世界なるに、命の道と示すなり。


それが太陽の本義の宗と言うなり。


みな悉くこの法と一にしてそこに生じせしむるに、そのまま生かしてゆくと示すなり。


誤ちと無知の殻これを破らしめ、みな天と羽ばたかせて大きく成長させるなり。


ゆえに、みなそのままに、阿毘羅吽欠、大日如来を尊び、太陽に帰命して、太陽一切界一如と生きよと言うなり。


さればみな悉く生かしてその命と咲かすと知る事なり。


すなわちそのままにして、我の示す教えをよく聞いて、我の示す法と如来これを大切にして一と帰れと教えるなり。      


大日を普門の仏と論ずるも、宗一切普く門これを一となせずして、これの証とはなせぬなり。


宇宙法身たる証は、全ての宗教みな悉く普門にして一門とおさめるに真の大日なると知る事なり。


なんの神だ仏だと分けるなり、全てを一とおさめた諸法本有本不生の大日を見れずに、法身、真如神仏は見れぬなり。


青空を見ても、なにを見ても、大日の説法と聞くは、諸相悉く、薩般若の蔵と知る事なり。


胎蔵とは一切大日如来たる大の法身と、自らの生としての生身と一なるゆえに示すなり。


一切大日と実と気づけば一切法悉く、そこに開くと知る事なり。


なんの大日門において宗を分けると申すなり。


みな一と包みて普門即一門となすに、大日なると知る事なり。


本門の大日如来を歴史的に、はかりては、それはわからないのである。


この宇宙天地の実相が見えずして、真の大日は見えてこぬなり。


大日は全てであり、一切なのであり、その一切が見えなくして、それは見えぬも道理なり。


太陽と語れぬ者が、太陽を知らぬは当然なり。


青空、天空に説法の声これを聞きて、よく不聞の聞こえなせずして、そこに如来は見えぬなり。


一輪の花、一文字の字の中にも、一切の中に一義の法をおさめて一と説法する声を聞けずに、真の大日如来は解せぬなり。


万花地涌と生じて万界に咲かすも、大日の応化の説法これと示すなり。


大日は汝等衆生一身を含めた一切天地、宇宙とこれを知る事なり。


されば如来は常にそこに一とおわすと知る事なり。


『大日の一門即普門、普門即万法、万法即一法、一法すなわち是れ、唵・阿毘羅吽欠なり。

これを総門大法と言うなり。

これを明かして太陽の大法と言うなり!』



太陽の法嗣


大日    天光子


合掌