『権利と義務』
人間は人間として生きる権利もあれば、同じように義務もある。
人間を生きるとは信じ合うと言う事であり、思いやりあうと言うことであり、認めあうと言う事であり、大切にしあうと言うことであり、愛しあうと言う事であり、助けあうと言う事である。
信の字、仁の字、認の字、大切の
字、愛の字、救いの字、みなあらゆる字がそれを示して教えるのである。
はたまた、あらゆる実相、あらゆる色相がそれを示して教えるなり。
それを知る事こそ大切であり、人間を人間として生きることである。
それら正しき道を受ける事を権利となし、それら正しき道を行う事こそを義務となす事こそ知るべきなり。
真理に添うて守られ生きる事は、人に与えられた権利である。
真理に添うて守り生きる事は、ゆえに人に与えられた義務なのである。
権利と義務は、両立一体にして成るのであるから。
真理を得る事は人の権利であり、それを行う事は人の義務であり務めなのである。
正しく生きる権利はそのまま、正しく生きる義務なのである。
人はその一方を主張して、一方をないがしろにするから、迷い誤つのである。
権利と義務は、相対してともに生まれるものであり、一方だけに生まれるものではない事を、人はよく知る事なり。
それを智慧と言うのである。
生きる権利はそのまま、生きる義務である。
ゆえにそこに正しい道を真理は教えているのである。
受ける権利はそのまま、受けさせる義務であり、正しく与える義務である。
受ける権利ばかり主張して、自ら与える義務を忘れているのを、ゆえに無知と言うのである。
愛される権利はそのまま、自らの愛する義務であり、思いやられる権利は、そのまま、自らの思いやる義務であり、大切にされる権利はそのまま、自らの大切にする義務である。
幸せにされる権利は、自らにして幸せにする義務であり、平和に生きる権利はそのまま、自らまた平和にする義務がともなうのである。
このように権利と義務は一体にして成されなくてはならないのであり、それを成立するには、人の全てが、この義務を第一として生きる事なのである。
さすれば権利は天下に満ちて、そのまま、全てが得られるのであるから。
それが真理にそいた行動の原理なのである。
苦しめられない権利は自らをして、苦しめない義務であり、恨まれない権利は、自らをして恨まない義務であり、傷つけられない権利はそのまま、自らをして傷つけない義務なのである。
殺されない権利は、そのまま自らまた殺さない義務であり、生きる権利はそのまま、また自らをして、生かす義務をともなうのである。
このように権利と義務は平等に一如一体となしてこそ成立するのである。
一方のみの主張はみな無知の主張であり誤ちなのである。
正しくそれを成立させるには、人の全てが、この義務こそを第一となして生きる事なのである。
さすれば権利は天下と満ちて、全てがそのままにして得られるのであり、そこにこそ本当の世界、天国浄土が生まれるのである。
人はこのような当たり前をなせぬから、無知無明となり、迷い、苦しみ、苦しめあって生きるのである。
ゆえに無知こそ最大の罪と教えるのである。
生かされるを覚めて、生かすを知る人を智慧者と言うのである。
義務を覚めて正しく進んで生きれる人を、真実の人と言うのである。
その人達こそ、真理を得て、天を得て、本当の命を得る権利を受ける人と言うのである。
義務をよく正しく知る人は、権利をよく知る人である。
権利だけ主張してやまない人は、義務を知る事がなく、迷いの世界と落ちて、末に地獄の世界を得る人と言うのである。
義務とは、義の務めを成すことであり、義すなわち天道にそいた王冠をいただいた者が歩む道なりて、正道、王道、人の道、真理の道を歩む事なのである。
その務めをなせる人をゆえに、義務の人と言い、全てを得る権利を有する人と言うのである。
義を務めるを義務と申し、これを当り前に知り、当たり前に成せる人は、おのずから求めなくても権利は、やってくるのである。
義を道となし、それをもって務める人は、義務をよく成す人であり、人を正しく生きれるひとである。
ゆえにそういう人は、権利を主張し、求める事をなさなくても、それは皆、付いてくる事を知る人なのであり、ゆえに迷う事はなくなるのである。
義務こそ人の本来の道なのであり、人の成すべき道なのである。
義、人の行うべき正しい道、この道を知る事こそを人は大切となして、それを務める事である。
権利を主として義務を忘れるから人は争い、迷い、苦しめ、苦しむのである。
義務こそ主となせば、正しく道はみな成るのである事を人は知る事こそが大切なのである。
義務を主とするから、権利はついてくるのである。
権利を主として生きれば、迷いと、苦と争いだけが付いてくるのである。
神や仏、天人、菩薩皆、よく義務を知る人である。
ゆえに真理を得て全てを得る経供と言う権利を許されるのである。
義務を果たすから権利が生まれるのであり、義務なくして権利など生まれないのである。
ゆえに義務と権利は、義務をこそ一如一体なるをこそ、人はよく覚める事である。
義務と権利は一体であり、権利は、必ず義務が一体としてなされなければならないのである。
それが権利と義務の正しい道と言うのである。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌