『作くすはなにを持って』
仏像を作するも、心これをもちて作さずば、意味ころれのなさず!
仏像を奉るも、心これと祀らず真に非ず。
心一となすに、法これを生ずるなり。
先者、聖かくかく曼荼羅そこと作すも、衆、心をもちてそれを持たずば、真の心ならずなり。
物に命あらずして、その心にこそ命これあるに、心に掲げもちて一冥正道と生むは、命道の真なり。
曼荼羅一切一命の真なり!
冥道一如となして、心にこそ生むはこれ成身の修なり!
物に依りて、その心に依らぬはこれ愚者の見なり。
物をもちて真と言い、心忘れるはこれ、妄迷の言なり。
その心一と冥せずしてなんの一如成身至れるなり!
たとえば、南無妙法蓮華経は、その心命、南無妙法蓮華経として正なり!
これを忘れて、軸としての物これをもちて真と言い、偽と争い、心忘れるは大迷の相なり!
ただ、万法は心こそが肝心なり。
万界の妙薬これを与えども、迷者これを服すを知らず、毒をもって妙となし喜ぶはこれ哀れなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌