『真理の眼より見れば!』
友よ、真理の眼より見れば、全てはひとつでしかないのである。
そこにおいては、仏教も、キリスト教も、イスラ一ムも、ヒンドゥ一教も、ユダヤ教も、シ一ク教も、神道もないのである。
全てはひとつにすぎないからである。
それぞれが、ひとつの真理を分有したあらわれであり、一相、一味、一法にすぎないからである。
それを迷える者達は、キリスト教の眼をしてキリスト教しか見えないから、他が見えないのである。
イスラ一ムの眼をしてイスラ一ムしか見えないから、他が見えないのである。
ヒンドゥ一教も、仏教も、他の全てにおいても同じである。
それの眼をしてそれしか見えないから、真実の一が見えないのである。
ただ真理の眼をもって遍ねく全てを見る者のみがその一へと至る者となるのである。
友よ、ひとつの眼をして見れば、ひとつにしか見えないのである。
ふたつの眼をして見るから、ふたつに見えるのである。
それをいくつにも見て対立し、分断し、争乱するから、真実から遠ざかるのである。
真理はひとつであるという道理をよく心となしてひとつの眼で見るから、全てがよく見えるようになるのである。
友よ、それが真実の見ると言う事である。
大いなる真理(神)と至りた者は、三百六十度にめぐらして見るものである。
ゆえに、一を知って二と対立せしめて見る事が無くなるのである。
これこそ全ては、気づく事である。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌