『神仏の法は正義!』
よいかな友よ、神仏の法は正義である。
ゆえにその法は慈悲と愛の上にこそ成り立っているのである。
その法にもし、慈悲も愛も無いのならば、それは正義の法ではないと知りなさい。
されば神仏にとって全てはこれ敵に非ず!
全て哀れむべき者達にして、救うべき者達なればなり。
迷い見失いた羊こそ探しだして導きかえすのが神の道の道なればなり。
光は全て、その闇を照らす為にこそ、輝かしゆくがゆえなり。
悟りの智慧はまたその闇き者の為にのみ説かれるものなればなり。
天はその罪の衣は裁いても、その命そのものは裁かないのである。
その命を命と帰す為にその罪の衣こそ裁くのである。
ゆえにその裁きもまた正義となるのである。
それは命を命と救う為の愛と慈悲となるからである。
なにゆえ、人の子の親である神がその子を裁き殺すであろうか!
その子が泥だらけになるゆえに、戒め正し、叱りながら、洗い流すのであり、その塵垢を焼き払うのである。
清浄なる本来の命と帰し救うのがゆえに、大いなる父、親の愛とは知る事なり。
天はその罪の衣は裁いても、その命そのものは裁かないのである。
その命を命と帰して生まれせしめる為にこそ、その罪の衣こそを裁いて覚め帰すと知る事なり!
これが親の正義にして、慈悲と愛とは教えるなり。
法とはゆえにこれを、慈悲と読み、慈愛と読み、正義と読むなり!
人の世においても、この心こそ法に生かせと教えるなり。
『光は全ての闇を払うなり!
人はその光に依り、信仰の力に依りて救われるなり。
信じる者は救われる、万全の努力なす者はみな報われるなり。
信じよ、大いなる光を信じよ!
大いなる愛を、信じよ!
大いなる慈悲を、信じた時全ては、そこに救われた自己をそのまま得れればなり。
私を信じよ!
私の法教を信じよ!
汝のその信仰力によりて、汝はそのまま救われるのであるから。
大いなる御手はすでに汝と共にあるのであるから!』
『私を信じよ!
私の法教を信じよ!
汝のその信仰力によりて、汝は大いなる神仏の御手を知る事になるのであるから。
汝、心より信じた時、汝は汝の願い求めるものを得る事になるのであるから。
神仏の御手は、私の法教と共に光となってあらわれ、汝の願いを成就せしめるのであるから!』
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌