『真実の一をなす者となせぬ者!』
あらゆる宗教は真実の一となす事ができず、私は逆に、一でなくする事ができぬなり。
あらゆる法を説きても、一より生じて、一と帰一せしめるに、私には一でなくするほうが困難である。
ゆえに私を真実の一を説く者と言うのである。
即ちこれをこそ真諦第一義諦たる一義処と言うのである。
あらゆる宗教は自己独善となして見失い、一を証せざるをして絶対の一と言うのである。
その一とは一体なんなのであろうか!
私には一である以上、一を分ける事も、別する事もできないのである。
あらゆる宗教は分断し、別し、対立してそれが絶対の一と言うのである。
それをはたして宇宙当体の一神と言えるであろうか!
宇宙即我証得成道の一仏乗と言えるであろうか!
このような当たり前の道理すら解せないのが、私にとっては不思議でならないのである。
私の一は一でしかない一であり、全てを包み、含む一なのである。
ゆえに私の一をして真実の一乗と言えるのである。
即ち全てをその一と乗せて、一となすからであり、全ての対立差別を離れるからである。
これをこそまた大乗と言うのである。
全てを大と乗せて、ひとつももらす事がないからである。
無上等正覚、アノクタラサンミャク三菩提はただここにのみ真実として成立するのである。
ゆえにここにしてはじめて、真実の自在無礙が生じるのである。
全ての友はゆえにこれをこそよく道理と知る事であると教えるなり。
(全ての教えはただ眼前と一命の内にあり!
覚めんかな、、覚めんかな!
悟らんかな、悟らんかな!
三世三界一切の衆生大衆、仏法は是れなり、宗道一切もまた是れなり!)
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌