念仏誹謗はそのまま法華誹謗 | 太陽王法の会


『念仏誹謗はそのまま法華誹謗!』


観音念仏正法ならば阿弥陀念仏その親法ゆえに正法これの道理なり。

これともに否定なせば、法華観音普門品の否定これなり。

古来より観音妙智力の救いのあまたあるは、世界の奇瑞に聞く事なり。

日本国中に観音の不可思議の救い実と語りつがれて無量とあるも実と見よとは示すなり。

なきもの、あらざるものならば、そのようなことのなきとは示すなり。

みな、あるゆえにそこに残ると知る事なり。

我のまた、観音界の存在、実と験証して知るゆえに、その実在を大音声でここに証するなり。

ただ衆生に見えぬだけにして、法と修して実と至らば、姿を見、声を聞き、実の救いとあずかるなり。

その観音の頭頂主尊は全ての観音の示すとおり、阿弥陀仏とは示すなり。

この阿弥陀仏を無間大獄、無間地獄の大因と申するならば、観音の頭頂が地獄と化すと申すなり。

ゆえに念仏無間地獄などと申する者等の言葉はみな大妄にして、真の法を知らざるして、神秘甚深不可思議法を実と験証していない証とこれを示すなり。

観音、大悲大力の救い主なるに、阿弥陀仏一如の界と示すなり。

ゆえに念仏の甚深また至らずしてこれを否定し、誹謗中傷する事はやめることなり。

我はここに大日界の大日如来にかわりて、念仏正法なりと、これも証し残すと知る事なり。

しかるに、法は全て、自らが自らの命と悟り覚める事が第一の肝心にして、それこそ忘れてならぬと示すなり。

そこにこそ真の救いのなりゆく、そこにこそまた真実の成仏もなると示すなり。

肝心仏とは、覚めたる人、覚者、悟りた人、この事をよく聞けとは示すなり。

自らの命と覚め悟りて、大いなる世界と至るがゆえに唯一の大事にして
肝心これと教えるなり。

宗門対立の哀れなる争いはやめて、仏法のひとつを心して、早く、ひとつに和せと示すなり。

大乗の真と示せば、全ての宗教もまた一なるに、大乗なると教えるなり。

その理ゆえによく我は説きて与え残するに、全ては、心して修し知れとは言うなり。

我は全ての仏者はおろか、全ての宗教をひとつに和して、全ての民をひとつに救いゆく道を示すと知る事なり。

そは、全てがひとつになりて、和して安心と生きる事こそを、望み、願うがゆえと知る事なり。

ひとつの光のひとつの世界に早く覚めて帰れと示すなり。

全てを光と帰らしむるが、我のただひとつの願いとこれも教えるなり。

ゆえに宗の対立は絶対になしてはならぬと言うなり!

全てよく道理によりて、義と道と智慧とで、正しく知れと教えるなり。

神仏界は実と存在して、衆生の覚めかえるを心と待つと知る事なり。

ゆうにその為にこそ、ただ法に依りて自らで至りて知れとは教えるなり。


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌