『創造識』
創造という形無き識界は、形を創造し、それを生み出したのである。
まず始めに、その命の源である自らの命たる太陽をあらわしめたのである。
そして次々と生み成したのが、この太陽宇宙である。
天地また、最初に形無き識界において、形と創造し、それを生み出したのである。
識無くしていかにその形が、形と生まれようか!
全てはその創造識ありて、形成識となして、形は形として完成なすのである。
それこそ人々は知る事である。
人の世においても、全てを形づくるに始めに創造識ありて、形成識となして生みゆくなり。
天地万物みなこれ、出鱈目にできたのではない!
その始めに、創造識があって、そこより生まれてきたのである。
神仏もゆえに、人の眼には形無き姿なれど、無相の識界に存在するのである。
初めに創造識があり、創造識が形成識を生じ、形成識がそれぞれの形を生じたのである。
それが、維持・保存識を生じ、破壊識を生じ、破壊識が再生識を生じ、その再生識が進化、進歩をなして、世界が成り立っているのである。
されば、その初めの創造識は誰が生んだのであろうか!
それを創造主と言い、創造の神と言うのである。
全ての世界の全ての形ある生命、物みな初めに創造無くして生まれるか、よく考えて見る事である。
花が花として勝手にそれぞれの形になったのだろうか!
人の生命が勝手に今の姿形に形成されたのであろうか、全てをよく見て考える事である。
その初めの創造無くしてこの世界ができたのか、よく人は考え知る事である。
創造・維持・保存・破壊・再生・進化は宇宙の原理と教える事を知る事なり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌