真の偉い人とは | 太陽王法の会


『真の偉い人とは!』


友よ、よく偉い人と言うけれど、なにをもってこれと言うなり!

偉いとはこれなんぞや!

友よ、地位があるから人は偉いのではなく、名誉があるから人は偉いのではない。

友よ、金や財宝、物があるから人は偉いのではなく、ただ学問があるから人は偉いのではない。

友よ、そのような仮のものにおいて人は偉いのでも、偉くなるのでもないのである。

友よ、偉いとはその命を違えない事をこれ言うなり!

命を命として正しく守り、正しく生きて違える事がない人をこそ、偉い人とは言うなり。

違えるとは、道と違える事にして、道に背き、ゆくべき正しい方向と逆になってゆく事を示すなり。

ゆえに(違)の人偏を人の命と示して、その形を(まるい・なめらかでやわらかい)と示し教えていることなり。

返は道にして、その正しい道をはずし、違えるゆえに、違うとこれを示すなり。

されば、偉い人とはその返を人の命の返としてそこに示すなり。

その命のゆくところにおいて、ゆくべき正しい方向と逆になってゆかない人をこそ、偉いとそこに教えるなり。

されば友よ、人と人の営みにおいて、常に対立し、争い、仲たがいするような人にして、よくその道をひとつにできない人をしては、決して偉い人とは言えぬなり。

即ち全ての対立を離れて、一なる真実と覚めて正道真実とその命をゆける人こそ真の偉人と言えるなり。

自己の命これを違えず、自他の命を違えず、常に真実道理を見て正しくひとつにゆく人をこそ、偉い人とは教えるなり。

ゆうに友よ、金があるとか、物があるとか、大きい家に住んでいるとか、名が知れているとか、地位があるとか、学問があるとか、僧侶の衣を着ているとか、そのような事で、偉い人と言うのは間違いなると知る事なり。

全ての仮有(仮に有るもの)なるものでそれを決めてはならぬと言うなり。

たとえば政治家でも、裁判官でも、その地位において人は偉いのではないと知る事なり。

そこに当選したとか、その試験に受かったとかで、その人が偉い人とは言えぬなり。

どんな職業にいても、どんなに貧しい暮らしをしていても人としてよく道を知り、命を命として正しく生きて、命を違える事がないならば、そういう人達こそ偉い人達とは言うなり。

されば友よ、早く真実道理をその命に見て、覚め生きよと教えるなり。

そこにおいてのみ、汝等は偉人になると教えるなり。

違えるとは、道をたがえる事にして、正道と逆の方向にゆき、行う事と知る事なり。

道において対立してよく真実を忘れる者も、ゆえに間違いこれと言うなり。

全てにおいてよく道を見て、道と正しくひとつにゆく事が、間違わない生き方これと知る事なり。

違うとは、声字そこにおいてよくこれを教えていると知る事なり。

道に背かず、全てにおいて道を見て正しくゆけと教えるなり。

(道と知り道とゆきて違えない人をこそ真の偉い人と言うなり!) 


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌