中台八葉院と太陽大日如来の法 | 太陽王法の会


『中台八葉院と太陽大日如来の法!』


中台八葉院の中央中尊は大日如来である。

そは正中心一実の真理太陽日輪これと知る事なり。

その大日輪を東方と登らしめたのが、法幢如来の相なり。

その大日輪を南方中央と登らしめて表したのが開敷華王如来の相なり。

されば、
その大日輪を西方と沈め見せておさめ大荘厳の真を教えて無量寿如来、即ち阿弥陀如来の相と教えるなり。

そのおさめた大日輪をして、北方、月氏光明と示して境地冥合、入我我入、日月一命の真と明かして、闇と輝き照らす月と示する相を、釈説法と大法大音声と鳴らす相を、天鼓雷音如来!

即ち、釈迦如来と教えるなり。

されば、
その各々にまた大菩薩を示して、
東南に普賢菩薩、南西に文殊菩薩、西北に観音菩薩、北東に弥勒菩薩と各々示するも、
ただ、太陽の法、大日如来の妙諦法相これを教えるなり。

全てはゆえに大日如来(法身)一命の報身にして、
応身、三身一如の諸尊仮身とこれを教えるなり。

太陽大日輪は、
太陽という宇宙法身の法性、神性、仏尊者性としての性、摩尼とはこれを教えるなり。

日輪とは
太陽宇宙を体とする真理法身の真性
(菩提心)、神仏性と知る事なり。

その全てを遍照して除闇遍明となす相と見つめて、その大慈大悲をそこに覚めと教えるなり。

その中尊日輪大日如来の命と入我我入一体冥道して大神秘神変加持と受持して自らそこと修して中台八葉院の境地と極めて自身が一円一命と覚め証しつ、大日如来と誕生なすのがその法諦なると示すなり。

ゆえにその大曼荼羅は太陽法界宮にして、その宇宙天地の胎蔵界なると知る事なり。

その天地宇宙と自己の一命胎蔵の宇宙一体となして、自己の主、法界(命)の主と生まれるのがその法諦の
真実なると知る事なり。

天と地と自己の一体、太陽の主と生まれて、大光明智慧身と誕生する!

そこにおいて
自身、大日如来の最上大法、当体真言を申して、一切智々と開き開きて全てに未曾有の開覚を与え、神仏真理の智見と悟り入らしむるのが、その成身の姿とこれも教えるなり。

大日経の真実教はそこにおいて、実と説かれて一となると知る事なり。

これの
説かれる時、
全ては一となりて全ての対立、全ての対立の教えは意味を無くすと知る事なり。

即ち、
太陽法界宮の
大法にして、
真実の法はここにおいて一と極むと教えるなり。

ゆえに阿毘羅吽欠と申して、これの説かれた処を、
阿伽尼瑟咤天(色究竟天)の大自在天宮とも教えるなり。

即ち、
阿伽尼瑟咤を意とする、万法最上の義と示する大意とこれを教えるなり。

即ち、
全ては太陽の法にしてそれを外れて世界は無く、
道無く、
また法も無きとは言うなり。

真言の一切もまたその太陽大日如来と極めるを最上とし、普門万門はまたその為におかれる慈悲とはこれを知る事なり。

仏教、
神教の
至るところはゆえに一にして、そこにおいて説かれる教えは、みな
一相にして、
一味にして、
一法なると教えるなり。

キリスト教も、
イスラ一ムも、
ヒンズゥ一教も、ユダヤ教も、
神道も、
ゾロアスタ一教も皆々、宗教宗道の全ては、ただの一とは教えるなり。

ア一メンの
意と義も、
アッラ一の義も、ヤハウェの一眼の意と義も、
ビシュヌ神の
三神原理も、
天照の神体、
鏡の意と義も、
ただ太陽の法と実と入道、
認証体得、
験証した者のみがこれをよくとは知ると教えるなり。

これと
実と至れず体験せぬ者は全て、
今だ至れぬ者、
道途上の者とは知る事なり。

即ち、
そこにおいては皆、そこと実と体験体得した私より至らぬ者となりゆくなり。

この事実こそ全てはよくと覚めよと言うなり。

その上で、
私の説き著す法教こそを命に知れと教えるなり。

全ては太陽の法、これを決して忘れてならぬと言うなり。

太陽を
中心とする真理、その一を忘れるから、いつまでも愚かな対立を生ずる事も決して忘れず、太陽の中心より全てを一と見る事を全ては覚めて命に知れと教えるなり。

(大日如来を摩訶・毘盧遮那と言う!

これは本来、マハ・ヴィローチャナと言うなり!

ヴィローチャナとは古来から太陽の事を言うなり!

その主たるを示して、『阿・あ・ア・A・a』と言うなり!

この阿をしてゆえに大日如来の種子とも教えるなり。

阿・あ・は全ての初めにして全ての親にして、主とは示すなり!)     


太陽の法嗣

大日    天光子

合掌