『自由!』
正しい道に
拘束されて正しくゆくゆえにこそ、自由はなりなり。
自由とは自由という原理原則に拘束されてこそ、
はじめて正となるなり!
なにをしても
よいなどと言う自由など、真実の自由とは言わないのである。
自由とは真実にこそ拘束されて真となるなり。
悪道、
不真実と生きて、そこに自由があると思うのは、
大きな誤ちなり!
なにをしても自由などという自由は無きと知りなさい!
例えば、
テレビがあって
そのテレビの一々の部品が、それぞれ自由だと申して勝手にふるまったら、そのテレビという宇宙世界の命が成立せぬなり!
その道の中に正しく生きてこそ自由のなると知る事なり。
されば、
人の命、
身体にこれを写し見よ!
身体の内が自由勝手だと申して、
バラバラにふるまったら命は成立せず!
全て
その真実の道にそうてその中にこそ自由のなるなり。
天地も、
世界も、
国も、
社会も、
会社も、
家もみな、
この守るべき道にそうてこそ、
自由のなると知る事なり。
すなわち、
自由には自由の
原理原則があってその原理原則に拘束されつつ、
真となす事にこそ真の自由が成り立つなり。
例えば、
自由だと申して食べすぎれば、
病みて自由を失うなり。
自由だと申して
盗み、
犯し、
傷つけ、
殺せば、
罪となりて罰に自由を失うなり!
天地には
天地の理ありて、決まりがあるに、その中にこそ自由が成ると知る事なり!
自由勝手と申して自然破壊を繰り返せば、その報いまた天地の内に生まれるなり!
命には命の決まりがありてその道にそうてこそ真の自由は得れるなり!
すなわち、
道無くして
自由無く、
真実の営み無くして自由の無きと教えるなり。
全ての
因縁因果は、
正しい道にこそ自由を与えると知る事なり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌