『自分とは!』
自分とは本自本性の自分と、そこより分け分かれたる分別の自分である。
本然本分としての自を是れ、本当の自分と言い、その自性自然の本分を忘れて、分別分断の自と生きる!
これを迷いの自分と言うのである。
本性の自分と、
迷いの自分とが一なる自分ゆえにこれをまた、
煩悩即菩提、
闇即光、
迷即悟と言う!
本自本然、
もともと持っている本分と覚めるをゆえに自分の悟りと言うのである。
自分の自を
天となし、
分を地となせば、天の自は是れ、
本然自然、
計らいの無きもともとの自分これなり。
即ちこれ、
真理とめぐらしたところのありのままの自分の事である。
自づからなりところ、もともと持っている本性、ゆえにこれを本然生得の自分と言うのである。
地となす分は、天なる自を分別して生きるところの分これなり。
分はゆえに、本自の自より分かれて、そこに展開、転回する全ての事を言うのである。
この天なる自
「大いなる命としての自分」と地なる分「分別されて展開する命としての自分」をよく知りて、自分と言うものを明らかに知るを、自分と覚めるところの悟りと言う!
自分を知るとは、この自と分たる一命一体の自分を知る事にして、その自分が本来の自分と帰る事を言うのである。
「自性自ずから自己をたすく」
自性本性の自覚は本分たる自分の覚めなり。
その自性こそ自らを度す「たすくる」道なり。
覚めよ、
自己の自覚無くして悟りもまた無きがゆえなり。
自己の自覚ゆえに自らを実とたすける!
本然自性はゆえに自らを救う本道の道是れなり。
本性自性に覚める!
その自覚こそ安心立命への道是れなり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌