『法難!』
法難と人は言うが、本来法難など無いのである。
全ては因果
「原因・結果」
であり、正法に難などあろうはずは無いのである。
法を修し、神仏を大切に生きる者が、法に反する因をおこなうから難がおよぶのであり、因無くして、なにもおこらず!
法に生きる者に難などあろうはずは無いのである。
人はそれを見失い、なにかあると自分の因を忘れ、法難、法難とあたかも人のせいにする!
よく考えると、その者が、法をおろそかにしている事になるのである。
神仏の存在を心から知りて法に生きている者はいったいどの位いるであろうか!
知らないで、法に生き、法で暮らさせてもらいながら、法をおろそかにするから、難がくるのである。
神仏は存在する事を自覚して、正しく法のもとに生きる事である。
太陽の法嗣
大日天光子
合掌