『実践道としての仏法、および神道!』
仏法において、始めに華厳大教をしめして、その力量を試して見て、その後に
阿含と示し、
方等、
般若、
法華、
涅槃、
大日密教という具合に進めてゆくのである。
これをただ単なる教本教学の上で考えるならば誤ちである。
これは神秘甚深なる精神界の真実の法なのである。
即ち実践体認の法諦なのであり、一人一人の命で修し、命で体験経験し、命で験証修得してゆく命の法なのである。
自己の命におさまる大いなる命の道、真理世界と通じる真の道、これと開かずして命にある真実これは理解できぬなり。
真の
仏法、
神道、
共にこの命の実践道にこそ真実の命の道があると知る事なり。
「難伏悪道の者には神を畏怖せしめる事も時には必要なのである。
ゆえに罰を与え、戒めを与え、懲らしめを与えるのである。」
これは命の救いであり、真実救わんとなすところの神の愛にして、神仏の慈悲なのである。
罰を知り、そこにある真実の命の道を知る事なり。
太陽の法嗣
大日天光子
合掌