太陽の法とは! | 太陽王法の会

『太陽の法とは!』


宗教の一切が太陽大日如来の法と気づかず知らず!

太陽を忘れて自ら達の宗教を申して唯一の太陽の法だなどと申する者達の沢山いるに、それこそ愚かの極みと言うのである。

太陽の法だと申しているその者達を見れば、その主たる太陽に詣でる事も
日々祈る事も、
語る事も忘れていながら、それを言っている不思議に気ずかないのである。

太陽の法とは太陽の法にして、太陽自身の法でなくしてどんな法だと言うのだろうか!

太陽一実の教えを主とし、中心としてその全てを示さずしてなんでこの法であると言えるかよく考える事である。

太陽真理と真実一如となして境地冥合して、自らが太陽の応化化身とは太陽境地冥合して、自らが太陽の応化化身と生じて、日嗣の法、法嗣として天下これを導けなくて太陽の法とは言えないのである。

太陽は一切の闇、
即ち無明を払い、
取り除くという真実の相を知る事である。

徐闇遍明、
一切の無知これを払いゆくのがまたこれの相であり、
ゆえに太陽の法をして一切薩般若、
一切智、
大日如来の法と示しているのである。

太陽がなにゆえに宗教を分けて対立などさせるか考えて見る事である。

太陽主が人界小乗なる自己の宗教のみが真実であるなどと申して、他教のみが真実であるなどと申して、他の宗には光を与えないなどと申したらお笑いぐさである。

宗教を対立させて太陽などと言う世界は全て妄語にして、出鱈目と知る事である。

みな太陽の真実を知らずして、太陽の法だなどと妄言を申すのである。

太陽の光とゆきわたりて生まれるところの世界、一切と示すところみな太陽の世界と言うのであり、その中心をして
宗と言い、
その主をして、宗、と示すと知る事である。

宗の主ゆえに、
宗の一文字をして全を説き、真を示すと知る事である。

即ち太陽の種子教諦なる、阿、字の一字をして全てを釈し、無盡の教えと開く事もなせるのである。

これさえも理解できずして、太陽の法の宗旨は無いと知る事である。

太陽の主これを忘れて太陽の法だなどと申すは全て妄語と言うのである。

太陽信仰の偉大なる真実を知らずしてまた、これをして古くさい自然信仰だなどと笑いゆく者達が
自分達の法と世界こそ、真実のゆく者達が自分達の法と世界こそ、真実の太陽の法だなどと申するのもおかしな姿である。

太陽の法とは太陽自身の示する偉大なる神秘真実にして、その真る偉大なる神秘真実にして、その真理へと入我我入し、一体冥合なしてその大法を実体験実得して、自らが太陽一如、日月一如の明諦と生まれ得ずして真実はならないのである。

自ら実得し太陽、
日嗣となるゆえに、大光明の導師としての救世主、仏陀と生まれるのである。

これ実と至らず、実と理解できずして、太陽の法の主とは言えないのである。

古来、
世界の道徳が乱れたる時、太陽が自ら
真実をあらわしめて大導師を育て生みゆきて世界を教え導かしめて救いゆく事を予言されているのである。

これさえも理解できずして、太陽の法の大導師とは言えないのである。

真実太陽真理一如と生まれたならば、
仏教も、
キリスト教も、
イスラム教も、
ヒンドゥ教も、
ユダヤ教も、
マニ教も、
ゾロアスタ一教も、神道も、あらゆる全てに対して、みな一なる光と当てて示し、一つの法となしゆくのである。

この真実を釈明と説き示せずしてなんの太陽たりえるか!

よく知る事である。

仏教一つにおいても例えば
華厳、
法華、
阿含、
念仏、
真言、
禅などとかくかく宗門と立てて分け、

それを対立せしめるなどという愚かなる者達はみな、
仏の足の下にして、太陽の足の下と言うのである。

これは、キリスト教においても、イスラム教においても、どこの宗教においても同じである。

太陽王法を実と実得し大覚成道となしたる者ならば全てを自らの掌の上に乗せて一味と見、
一相と見、
一法と見ると知る事である。

ゆえにそこにおいて釈説教導となして全てを一と教え導く証を立てるとも知るべきである。

それが真、太陽の法を保持し導きゆく真の導師と言うのである。

一切の人々はこの真実こそ覚め、出鱈目なる教えに迷うてはならない。

その大導師たる大日の誕生するは世界にもまれなる事なりて、その誕生の時と生まれを一にできる事は最の果報と言えるのである。

さればその導師の示すところを悉く命と修する大決心、大欲心こそを起こして、自ら達もそこと入り至れと教えるのである。

よいかな、
よいかな一切の人々よ、私はその事実を事実として説きて示する事を知る事なり!

ゆえに私の示する一切教を全てもらさず命に聞く事である。

さればこの示する事実も真実と証されゆくを知れるのである。

真の太陽の法の真実はその自らの命をして実得するが正しい相と教えるのである。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌

オ一ン・アビラウンケン