有る心を否定せずに! | 太陽王法の会

『有る心を否定せずに!』  


有るものを否定せずにそのまま正しく見る事!

たとえば
憎しみの心
これがなければ
これを知る事はできず、これがあるにこれを知る事ができるのである。

この心があるゆえにそれによってその心と生じるところの因縁もまた知る事ができるのである。

そこにおいて正しくそれを見つめて自心を知りゆけば、
自己の心を知る事ができるのである。

たとえば
自らで自己中心に憎しみの心をもちいれば、その用いた自分に気づく事こそが大切なのである。

そこに気づけば自分の誤ちに気づき
気づかされて
そのままその憎しみの心が自浄作用と変わるのである。

それ有るによりて、それに気づくのであり、それの無ければ、それに気づく事も無いのである。

たとえばまた、
詑の悪を見て憎しみの心が生ずれば、
その因縁こそを正しく見る事である!

されば
そこにおいて
その悪を悪と学び知るのであり、その悪を無くしたいと思えばそこにおいてまた自浄作用と働くのである。

このように有るものを否定せずに正しくそれをもちいれば全てが清浄の命の法となるのである。

もし
それが無ければ
それを知る事もなく、それによって知る因縁や作用も知る事ができないのである。

たとえば
人の悪を見たり、
人に悪をなされたり諸々の悪に対して、憎しみ、
怒り等のなければ、悪の区別もできないのである。

すなわち
その本来あるところの全ての心を正しく用いる事こそが大切なのであり、
そこにおいて一切は清浄となるのである。

全ては
正しく用いて
正しく知り、
正しく覚めたら
正しくそれを離れる事こそが大切なのであり、そこにおいて自分自身を見つめる心こそを大切にして「実の如く自身の心を知る」事が一番の大切なのである。

自分に覚めずして自分がわからないのであるから悟りも無いのであり
全てを正しく見て、正しく知り、
正しくもちいれば、皆本来清浄とかえるのである。  

怒る
自身の心を知り、
その因縁を見てその善と悪を正しく知る事が大切なり。

されば
その怒りの心が善と悪を教える師と変わるなり!

そこにおいて
自他一命と正せば、一切は清浄これとなるなり。  

全ては否定せずして正しく用いる事こそが大切であり、
それはそれとして全てが大切ゆえに、
意味をもってそれは有ると知る事である。

その真実を見て正しく用いる事ができないから誤ちて迷苦するのである。

しかし誤てば必ず自他のどちらからか正しの作用が生じるにそこにおいてまたその自浄作用が生じるのである。

ただそれを素直に受けとめて聞きゆく事が大切なのであり、すなわち
全てをよく見て
正しく知り、
正しく用いる事こそが大切なのである。

このよく見て
よく聞いて
よく知
よく気づき
覚めゆく事こそが大切なのである。

自分と全ての心をよく知り自分と他人とに素直になり、
正しくそれを受けとめてゆく心が肝心であり実の如く自心を知るとは、その自分自身に覚める事を教えるのである。

気づいてゆく自分、気づかされてゆく自分に覚めて、
自己を覚めた自分へと完成させてゆく事こそが自分に覚める事と言うのである。

「それ有るに依りてそれを知り、それの無ければそれを知る事もできない!
あるものは全て否定するのではなく、そこに正しく道を見て、正しく使う事が大切である。
法爾自然の真実を見る大切とはこれをして言うのである。
全ての心は全て意味をもって存在すると知る事である。」


太陽の法嗣

大日天光子

合掌