救世の法にいかに成るか! | 太陽王法の会

仏法修行!  


よいかな友よ!

仏法修行とは
なにも知らない自分というものに気づいてゆく!

気づかしめられてゆくところから始まるのである。

実のところは
なにも解っていない自分
その解っていない事すら解っていない自分なんでも自己の物差し、計らいで決めつけて解っているつもり知っているつもりになっている自分。

その無智なる自分に気づいてゆく
気づかされてゆく、これが仏法修行の第一歩である。

それに覚め気づいて裸にかえってゆく!

素直な子供のような心にかえってゆくから自己の無智の物差し、計らいが取り除かれて正しい教えが素直に真っ直ぐと心に入ってゆくのである。

子供が無心で親に、ものをたずねるように仏の教えを聞いてゆくから、そこにおいてうなずかされ、気づかされてゆく事ができるのである。

即ち、
その無明の眼の
ウロコが一枚一枚、はがされてよくものの真実、
道理が見えるようになってゆくのである。

それが光明への開眼であり、覚めである。

そのようにして日々その教えにふれて、素直に心に、しみこませてゆく事がその精進である。

あらゆる真実と道理にふれてゆくうちに自らをしてよく世界が見え、命が見えるようになるところに自己の完成がありのである。

ゆえに真の覚者は、一つの悟りを得たからと言って慢じる事なく一切法を自己の命に修習せんと更なる精進を重ねるのである。

それが誓願修習一切法であり
法門無辺誓願覚である。

その上で
その修行と平行してこの世界の為
生命の為
人々の為に
光を与える存在となってゆく。

それが利他の大行である。

自利の修行とともに利他の修行をなしてゆくところにこそ仏道という道があるのである。

そこにおいて自他の覚行が円満するように願い生き、
行動してゆき
それを成就させてゆくのが仏の歩みである。

よいかな!

全ての命が真理の智見に覚めて、
その迷苦の因縁を離れて明かるく輝いた真の世界をつくってゆく。

それが
仏の願いであり
全ての命へと示す道である。

そこにおいて全ては自己の命に覚め
自分という本来の相にかえり
自分を完成してゆけるのである。

それが真実の自分の誕生である。

この真実の自分と生まれるために生死している命である事を覚め気づいて生きてゆく事が人には
命には大切なのである。

そこにおいてのみ、真実の平和と
自由と
幸福なる生活も完成されてゆくのであるから。

真実の浄土天国、
そのより完成された世界が完成されるのであるから。

私は、
そのために全てに対して
その気づかしめてゆく教えを常に説き顕わしめて、
それを与えると知る事なり。

全てよ、
早く気づきなさい!

その自分、
本当の命へと生まれる為に真実の仏法にこそ気づきなさい!

私は、
それを全てに教え与える為に生まれたのですから。


太陽の法嗣

大日天光子

合掌