池田大作氏、秋谷栄之助氏への手紙! | 太陽王法の会

『池田大作氏、秋谷栄之助氏への手紙!』



謹啓、常勝の旗を掲げて進むとしめす創価学会会長として、なにゆえに無言のままとなしゆくなり。吾、汝等の教理を見てその誤ちを正し教えて数年の時を過ごすなり。
汝等についやした時、これいくらの価となるなり。
数千枚に及ぶ教理、その真実を説き示すに貴方方なら何年かかるでしょうか。
如来の使者にして大覚成道したる者を無視し、又、輕んぜるは仏法に反すると知るべきです。
無言のままその破れるを認めたならばその証となして償いをなしゆく事こそ大切である。
会長とはその一城の主!
その主にしてなにを迷いているのか!
なにを考えているのか!
無言と黙する事こそ大きな恥となる事を知るべきである。
全ての如来神仏この事を知りている事、貴方達にはわからないのですか!
南無妙法蓮華経と日々唱えていて、私の教えとふれ、貴方の内なる神霊、菩薩は貴方になんの不思議も示せないのですか!
題目をなして妙たる不思議が験われないのはどうしてでしょうか!
真実と唱えて夢と験われるも、眼前に験われるも正法の証なのですよ。
神秘奇瑞と真実が験われてこそ、その法に命が入っている証なのです。
貴方の内なる命、地涌とある菩薩達は一体なにをしているのでしょう!
眠っているのでしょうか?
千年待っても出会う事のできない教えに出会っている事も気づかないのでしょうか!
であい難き教えにであう事は真に(優曇華・うどんげ)の華とであう如きであると題目の菩薩達は教え知らせてくれないのですか!
如来に随いて妙法を聞く事を得んや。
希有なること優曇華の如しと為さざらんや!
「諸仏世に興出したもうこと懸遠にして値遇すること難し。正使世に出たもうとも是の法を説きたもうこと難し。無量無数劫にも是の法を聞くこと亦難し。譬えば優曇華の一切皆愛楽し、天人の希有にする所として時時に乃し一たび出ずるが如し!」
今、なにを見ているかも貴方方には理解できないのですか!優曇華は世界を統一する転輪聖王が出現する時にその瑞兆として開くという意がわからないのですか。
大光明と転ずるは、太陽大摩尼をもって一切を統一して正法を輪宝一如に転ずる事です。
寺の印の卍を知っていますか。
それは太陽の印にして阿字輪、万字を転ずる事も教えているのですよ。
太陽が光明を右まわりに転ずる。
その形が卍であり、仏陀、転輪聖王がその太陽の王法を転じる印として示すのです。
十字は何でしょう。これも太陽の印であり、太陽と一つの印なのです。
たての線は太陽と一つに連ねる形、時間を示し、よこの線はそのつらねた光を横へと遍く広げる形、空間を示すのです。その十字が転じまわってゆく形が、卍なのです。
真の太陽の法と言う者ならばこれ位当たり前に知っていますし、その真の意も知っているのです。
これを知らずして正法王法を転じられますか!
太陽王が誕生してその宝輪を転じてゆくゆえに転輪聖王なのです。
太陽王のはじめは、みな太陽に導かれて大いなる神秘と入り、実法と修して開眼して、歓喜地を得て天雨の祝福と共に頭頂に油を注がれる者となり生まれるのです。
天香に包まれ天の祝福を受け、太陽と一つになってゆく!
これが太陽王の誕生の証なのです。
太陽と一つに結ばれ、日輪の中にただ一人た立っている自分を体験するのです。そのはじめの太陽王の裔が王として単なる儀式で王位の印として頭頂に油を注ぐ形を取っているのです。
仏法の灌頂もその形を真似しているのであり、仏の誕生会で仏像の頭頂から甘茶「甘露」水を注ぐのも、五色の水を注ぐのも、そのはじめの実法を真似ているのです。
実際は現実に太陽が自らを験わしめて、その大神秘妙法の中で一つになり、大法と入れて導き、迷から明、悟りへと導き、実と開眼せしめて香華に包み、頭頂に油を注ぐのです。
それが転輪聖王、仏陀、太陽王の誕生の印なのです。
釈迦の言葉にもこうあるのです。
「王よ、かの雪山のふもとに、いにしえよりコ一サラに属し財宝と勇気とをかね具えたる端正なる一つの部族がある。その部族は太陽の裔と呼ばれ、わが氏族はサ一キャ「釈迦」と称する。吾れはその家より出家したのであって、もろもろの欲望をのぞむがゆえではない。」
インドで釈迦仏をして太陽神ビシュヌの中心「ヘソ」より生まれたる尊者と言っているのも、そのゆえなのである。
ヒンズ一教のブラフマ一の原理とはその太陽と一つなって境地冥合し、その中心に坐す者と生まれるを示すのであり、
それが梵我一如
「神我一如」、
王中の王たる仏陀の誕生なのである。
ゆえに仏を古来、天中の天、神中の神
「ダァヴァテイダァヴァ」
と呼ぶのです。
太陽の法とは仏陀誕生の法であり、太陽王の誕生の法である事がわかったと思いますが、されば、日本神道の天照大神は自らの命を神鏡と示して、太陽一如と至りて太陽と生まれる教えを示すのであり、太陽王として日本国の王となり、神となり、その王の末裔として天皇制があるのです。
天皇を太陽と言い、皇太子を日嗣ぎの皇子と言うのも、朝見の儀等の儀式を行うのも、そのはじめの形を残して教えとして形だけになっているものなのです。
さればまたアラ一神とするイスラ一ムは
どうかと言えば、太陽の法が源点にあるのです。
太陽神ド一シャスと一如と生まれたのが月の神ラ一なのです。
釈迦仏を月氏と言うのと同じです。
アとは主たる太陽とその宇宙、ラ一とはその宇宙に連なる一切の世界と命、ゆえに大いなる命と一と至りた一神の神と言うのです。
主としての、
ア「太陽」
と一如と至る自己が、ラ、であり、その一なる完成された命が、アッラ一となるのです。
釈迦の示す成道も、天照大神の示す成道も、ヒンズ一教のブラフマ一の原理、神我一如も、みな同じ成道を示すのです。

続く


太陽の法嗣

大日天光子

合掌