『秋谷栄之助殿への手紙』
(その2)
「仏の前にゆく事になるのであるから、わかりますか。出会う事でそこを去れたのです。であわなかったら、更にそれを広げて、罪を大きく広げてゆく事になるのです。その組織の指導者の罪たるや、仏を数度殺す罪と同じです。私はそれを救っているという事を知る事です。」
「諸仏世に興出したもうこと、懸遠にして値遇すること難し。正使世に出たもうとも、是の法を説きたもうこと復難し!無量無数劫にも、この法を聞くこと亦難し。譬えば優曇華の一切皆愛楽し。天人の希有にする所として時々に乃しひとたび出ずるが如し。」
「その真実の教えを聞くと言う事は大変な事なのですよ!
あなた達はそれを聞く事ができたのです。誹謗悪口の固まりとなって誤ちを広げていたという逆の因縁に依りて、真実のすがたを知らされる結果を得たのです。闇にあったからこそ、光を得れたのです。魔道邪義とあったからこそ、仏道一乗正法と得れたのです。雪山童子は、たった一偈のためにその肉体としての身を投げ出して、真実の法と命を得ようとしたのです。」
多くの童子、仏、菩薩、天人、道者、僧達においても、一偈のために身を投げ出して真実を得ようとしたのです。
であいがたき教えとであうとはそういう事なのです。
あなた達はそのであいがたき教えを、私によって得たのです。
私は一万枚近い原稿を書き残していますが、それもまたほんの一部分にすぎないのです。
この天下と人々のために、
正法と天下国家の平和のため、
全ての平和のため、
全宗教を統一して一とかえす大義真実を残しているのです。
あなた方は、そのであう事のまれなる真実の教えを、今の命において得る事ができて、今だ感謝の一言が言えないのでしょうか!
雪山童子を見習いなさい。
報謝供養の心とて全く生まれないのであるならば、あなた方は真の仏教を求める者でも、仏者でもない者です。
ただ仏教を自己の利益の道具としているだけと言えます。
金欲、名誉欲、権欲、色欲、財欲、その虚仮なる欲につかまりて、真実を必要としていない人とも言えます。
あなたのその肉体、財、家族、友人、皆、あなたの死出の旅路についてきますか!
来ませんよ!
生まれゆくのは魂、心だけなのですよ!
よく考える事です。
私のこの教えを聞いて直、眼がさめないようならば、真に悲れな事です。
あなたは地獄、餓鬼、畜生、魔界とめぐりたいのですか!
光をすてて、闇の世界に生まれたいのですか!
よくその命のために考える事です。
私は、毘廬遮那一切経と説く法嗣として、権利としてあなた方に償いを求めます。
あなた方には、大日如来を害し続けた罪が純然とあるのですから、義務があるのです。
償いとしての義務がその命にあるのです。
悔い改めなければなりません。
そしてそれを公然と証さなくてはなりません。
そして私に感謝を示し、報謝として布施供養しなさい。
私の教えを本にして公表するもよし!
大日如来のために修法正法道場を布施寄進するもよし!
正しい法華一乗の行者、探求者、道者として私の教えに依りて正しくかえりなさい。
私はあなた方に、その誤ちを正して正と与えたのであるから、権利として、誤つ辞典、教書、その全てを焼きすてる事を求める事もできるのですよ。
仏の声、正法の声、真理の声をおろそかにしてはいけません。
なんの返答もしない事こそ、仏者としての恥です。
そして人間としてもとても失礼な事です。
「不軽」の二字が読めますか!
輕んじてはいけません。
「日蓮とその世界の霊達は、すでに詫びているのです。」
あなた方がその誤つ過去に執着しても意味が全くありません。
執着すればする程、その世界を苦しめるだけです。
過去の闇から光へとかえしてあげたのではありませんか!
小さい世界から大きな世界へ、無明から光明へ、昇華させてあげているのですよ!
よく見て、よく心静かに考えなさい!
それがあなたと、あなたに従う全ての人々のためなのです。
太陽の法嗣である私を否定して、日蓮を失ったら、蓮華は永遠と開きません。
それどころか、その一門の法の幕を閉じる事になりますよ!
法界ではなんともないのです!
薩般若という大海に浮かべる船の一つをすてても、法船は沢山あるのですから。
渡らすための方便の船!
渡りてまでその船、「法」を頭の上に乗せて歩く人はいないのです。
渡ったら一つなのです。
一乗なのであり、大乗なのですよ。
全て
「毘廬遮那遍一切處」としての命へとかえるのです。
それが一切薩般若に流入するという事なのです。
組織の長としての義務として、また道として、返事をするべきです。
私は一人でも、真実と成道し、そこに暮らしているのです。
害い輕んぜる事の罪の罪こそを怖れる事です。
あなたと、あなたの霊達と共に怖れる事です。
創価学会会長
秋谷栄之助殿
太陽の法嗣
大日天光子