『痛みは痛みと
して教えて!』
(その1)
健康とは正しい
心であり、
正しい生活であ
る。
覚めた命、
覚めた生活、
光輝いて生きる。
これをこそ真の
健康と言うので
ある。
その命の苦痛に
勝つ方法は、
健康になると言
う事である。
この健康になる
という事を人々
はもっと命の上
においてよく知
る事が大切なの
である。
その痛みは自ら
感じるものであ
ろうか!
自ら感じさせら
れるものであろ
うか。
感じさせられる
ものと知るなら
ば、
何故感じさせら
れるかを知って
見る事である。
その痛みから脱
けるためには、
それを知って、
その命を命とし
てもっと大切に
する事である。
命を命として、
健康となすのは
ゆえに人にとっ
て最も大切な事
である。
その命とは、
その心こそが本
体。
主と知る事であ
り、
その本体の心、
あるべき本来の
心、
神性、
仏性、
本性が全てに具
わっている事を
早く覚め知りな
さい。
真実の健康とは
その覚めた心に
よって得られる
のであるから。
その痛みとは、
それをそると気
づかしめ、
治す為にあるの
である。
それはゆえにま
た、
それをそれと知
らしめ教える信
号であり、
警示でもある。
その内なる命の
声を人はもっと
よく聞く事であ
る。
命は命としてそ
のまま、
多くを語り示し
てくれているの
であるから、
人は、
それを治させよ
うとして感じさ
せられる痛みを
こそよく知る事
である。
その痛みにより
てその原因を正
しく知り、
その原因を無く
す事、
注意する事こそ
大切であると知
りなさい。
その痛みは、
神の経
「みち」
たる神経がある
から感じ、
おこるのである。
その神経が知ら
せる信号により
て人はその原因
を知り、
危険を知り得る
のである。
この信号がある
ゆえにまた、
人はその病みを
知る事ができる
のである。
ゆえに人はそれ
をよく聞いて、
その原因を知り、
それを取り除く
事が大切なので
ある。
それを忘れるか
ら、
ますます悪いと
ころが危険にさ
らされるのであ
る。
痛みが痛みとし
て間断なくなく
続く事は無く、
痛みつつ癒され、
癒されつつ痛む
事も知る事であ
る。
痛みが連続して
いてやむ事がな
いという事もな
いのであり、
痛みと知らしめ
教えつつそれを
癒し、
治そうと働いて
くれている力を
こそ知る事が、
大切である。
それを気付き知
り得たならば自
らも進んで、
それを治す努力
をする事が大切
である。
心も身も健康を
第一とする事で
ある。
それをなして生
きれば、
その命の内も、
またよく守りく
れるのであるか
ら。
その内なる命は
また、
健康こそを愛し、
人が人として正
しく生き、
覚め生まれる事
を望んでいるの
であるから、
よく覚めて正し
く道を生きる事
が命にとって、
一番の大切とな
るのである。
そこと覚めて生
きる。
本来のあるべき
命と生きる。
それこそが真の
健康と言うので
あるから。
自己の内なる命
に守られ、
生かされている
事をもっとよく
人は知る事であ
る。
そしてその命達
の望むような生
き方、
人生、
道を早く覚めて
生きる事である。
そのために心を
主として生きる
自己が、
その生命の宇宙
に生かされてい
るのであるから!
そのために命は
命によって守ら
れ、
生かされている
のであるから。
苦痛は、
その人間が健康
でない時に感じ
るものである。
その苦痛に勝つ
ために、
その身と心、
命をこそ正しゆ
く事である。
身も心もその迷
いから覚めて生
きれば、
苦痛もまた去る
のである。
苦痛とはゆえに
また、
それをよく教え
てくれるもので
あると知るべき
である。
さればかくの如
くに知るべきで
す。
その痛みとは、
それを気づき、
治させるため、
治すために生ま
れるのであると。
自らが病むから
治されるのであ
り、
正されるのであ
る!
自ら汚すから洗
われるのである
と気づく事であ
る。
続く
太陽の法嗣
大日天光子
合掌