僕は今日に至るまで50、60じゃ効かない百曲以上の曲を書いてきてしかもそのジャンルが極端にぶれている感涙涙のバラードから「一体、何に腹を立てているんだ?」と思われても仕方ないハードなパンク調の曲まで今までももう何人もの方々に「本当に今村が書いたの!?同一人物の書いた曲とは思えん」と驚かれ、言われ続けてきた人生で最初に出来た曲は14歳の時でコミックソングで僕もまともな曲とは思ってなかったしウケ狙いで即興で5分ぐらいで創った。ところがその18年後に音楽事務所にスカウトされた時に同じ事務所の所属ユニットの曲に「3丁目の女の子」を10万円で売ってくれと社長から頼まれ腰を抜かした。ただその代わり作詞作曲編曲者はそのユニットのメンバーでクレジットされる、という条件付だった今だったらあんな曲で10万貰えるなら提供してたが、当時はまだ野心があったので「クレジットに僕の名前が載らなきゃ売りません」とか生意気なコトを言って断ってしまった。かなりの後悔。もしそれが売れれば「次もまた…」と来るかもしれなかったのに、結局、そのままそのユニットは契約期間終了と共に解散してしまった。いつも「あと1歩」のところでチャンスを棒に振ってしまう。こんなバカなことやってるからかなぁ。当然鬱病罹患前には友人は数百人規模でいたぐらい社交的だった。
