自分の曲の中でも人気の高いこの曲は2,008年の春に出来た曲で歌詞も曲もすんなり降りて10分ぐらいで創った。この曲はラブソングに聴こえるけどそうではない。今だから書くが僕が大学生の頃に自分が創る曲に自信を失くしサークルも本気で辞めようと思った時に一番仲が良い先輩が部室に入ってきて僕の曲を聴いて「君はなんだかんだいって良い曲を創るよ、もっと自信を持てよ」と「言葉にしてきちんと」評価してくれてその一言が本当に救いのひと言で僕はサークルも続けて曲もいっぱい書くようになった。そして大学卒業して21年前の今頃にその先輩から電話がかかってきて「新しいバンドを組みたいんだけどベースやってくれない?」と言われ即答で「やります!」と応え真夜中のスタジオで1回だけ練習をしてもう真夜中だったのでその先輩がわざわざ車で僕を家まで送ってくれて「次はオリジナルを創ろう」ということで先輩にお礼を言って別れた。そしてGW明けの真夜中にそのバンドのドラムの先輩から泣きながら電話がかかってきて「あいつが事故にあってもうヤバいらしい、今村病院に来れるか?」と訊いてきたので「すぐ行きます!」と言って病院に駆け付けた。一目見ただけでもう直感で「もう無理だ」と思ってしまった。そして10時間の治療の末に亡くなった。その時に先輩のお母様が号泣してて僕は放って置けなくて亡くなって49日までは毎週先輩の実家に花束を持ってずっと泣いているお母様のお話をずっと聞き役になってた。だからこの曲にある「流している涙はもう止めて、失くしてた笑顔が見たいんだ」という歌詞で締め括っている曲だがこれはその先輩のお母様のことを歌った曲である。もう亡くなって21年が経つが未だに命日の近くになると僕もやはり涙が出てしまうのだが。凄い優しい先輩で面倒見の良い方だった。当たり前だけど、生きてて欲しかったよ。