今、慈恵医大病院での医療ミスが取りざたされているが、俺もうつ病の症状が出て最初に行ったのが、この病院。だけど紹介状も何もコネクトもなく何時間も待たされた。当時の職場に近かったというのもある、が全然主治医がいい加減で当たり障りのない事しか言わなかった。で、このニュースを見た時に「肝臓癌で亡くなった」祖父を思い出す。周りの人間から見て「どう考えてもどこかおかしいのは間違いない」というほどに体力が弱っていたから。自分の部屋から自宅のトイレに行くまでもがしんどい、という時に病院に行ったら「末期の肝臓癌、持って半年でしょう」と告知された。そして祖父の介護が始まったが事実上の介護は母独りだけ、な状況で見る見るうちに母はやつれて行って俺もそれで当時「おいしい」仕事を辞めて2人で交代で看病をし、そして入院。入院後も徹夜でほぼ毎晩、付き添っていた。幸い従兄が協力に来てくれたのでそれは本当に助かった。ただ俺みたいに「仕事を辞めてまで」というのだけは絶対避けてほしかったので、そこはなんとか大丈夫なように配慮した。本当にあの頃は波乱万丈のジンセ―の中でも辛い時期だった。母から自分の父が末期がんで色々と涙ぐみながら色々な想い出話を話す、その話をずっと聞いてあげて、で、母を慰めながら今度は祖父のベッドの横で徹夜で看病、俺は俺で仕事を辞めたので自分自身「鬱病にも罹患した俺はこれからどうなるんだ?」という不安。誰に対しても優しい祖父だったので結局、俺も「自分のことは後回しだ」という気持ちで看病に徹底した。もう20年も経つがあの時の心の傷は癒えてない。俺のことを悪い意味で「変わった人、どうしようもないヤツ」という人は多いが、もう自分でもどうしようもないぐらいに堕ちてく自分を止められなかったからそういう意見も今では理解できる。色々な福祉施設で俺の「鬱病」を回復させようとあちこちの施設でお世話になったが、せっかくスタッフが頑張ってくれてるのに良くならないどころか年々酷くなっている。でもまだ書くべき曲のアイディアが膨大にあるのでそれらをきちんとレコーディングしなければ。しかしマニアックだよなぁ俺の曲は(‘ω’)ノ。これからはもうYOUTUBEにしか曲をUPしない予定です。シーデーRを販売配布したりとかはもうしません。