日々の定番と化している「鬱の時間帯」になった。今更、言っても仕方ないけれど「こんなんじゃなかった、昔は」。高校、大学の頃は「社交的で明るい青年」だった。友人知人も数百人規模でありとあらゆるところに居た。カノジョというものは「一貫」として居なかったけど( *´艸`)。そもそも自分が罹患している「鬱病」というものの存在すら知らなかった。当然、睡眠薬なんか飲まずに寝てた。生きることに希望を持ってた。今思えば「なんておめでたい」ヤツだが「一刻も早く死にたい」という今の自分からは信じられない。腎臓癌と誤診された時も夢の中で脳幹破裂して死んだ時も「ようやくこの世から縁を切れる」と喜んだぐらいだ。現実に自分の死はイワユル「孤独死」になるだろう。「今村さんは50歳まではナントか持つのよ」と第6感の鋭い方に言われた。それでもあと6年もある。自分にとっては6年ですら「長すぎる」。今まで数回、左腕の静脈を包丁でズタズタに切り裂き、首の頸動脈も切り刻み、1か月分の睡眠薬を呑んでジ○ツを図った時も助かってしまった。主治医曰く「貴方、そこまでして死んでいないどころか何の後遺症もないのは奇跡だよ」と言われた。メンタルは脆いがフィジカルは並大抵の強さじゃないらしい。僕に「カノジョ」なる人物は誰ひとりとしていないが、それはまずは「単にモテない」というのと「自分」の「寿命」が「短い」ことで、もし僕にカノジョなる人が僕が早くに死んだら地獄の苦しみを与えてしまうから、でもある。ただもう〇サツはしない。変なことを書くが「自分にジサ〇は似合わない」