2005年に地元の大ホールでやったライヴの時に重い小児麻痺の方が涙を流して僕の歌に感動して手話でそれを伝えてくれた。付き添いのお母様も涙を流していた。あの時は自分も手話を少しできたので「有難うございます」と手話で伝えた。武蔵野の音楽も僕には大事だが、今の僕にはあの頃の心が大事なのかも知れない。浅田真央さんのお母様の訃報を知った、その瞬時に浮かんだ「SMILE AGAIN」や恩人の結婚式の為に創った「どこよりも誰よりも」や青森十和田の町興しの為に使われる予定の「流星群」、地元のボランティアグループのPRソングとして使用されている「9年前」、アメリカの社会派映画に提供した先の「雪解け」などなど色々なことに使われた僕の楽曲は枚挙に暇がない。だからと言って「世の中を良くしていこう」などと大袈裟な勘違いをしているわけではない。ただ個人レベルで「まぁこんな感じかなぁ」という曲を創っていくだけです。曲創りを始めてもう29年になるが相変わらずその「意味と理由」を探っています。
