自惚れ、KY,勘違い、も言いところだろうが自分には昔っからどうにも引っかかる部分がある。コレはまんま団鬼六著作の「真剣師・小池重明」のあとがきの大沢在昌さんの文を読んだ方がダイレクトに伝わると思うのだが、要は大沢さんも一時期は「自分にモノ書きは向いてないんじゃないだろうか?」と想っていたいうこと。


大沢さんは既に文化人の有名人だから説得力があるのだが、ここで重要なのはその後に続く内容「1つの才能に秀でたモノは本人がいくら其の道から避けようとしても結局はその道を歩まされる、そしてそれは決して幸や不幸、有名無名とは全く関係のないところで、レールが敷かれて生きる、そうなってしまうものだ」というような文である。


お前はそこまで秀でているか?と訊かれればただ単にこれまで書いたパンクからバラードまでの500曲を何も言い訳せずに出して聴いてもらうしかない。地獄だな、そりゃ。とにかく年々自分の本意ではない「メロウでPOPでバラード」系統の曲が量産されて、武蔵野は事実上解散のまま。しかし福祉の関係ではメロウでPOPでバラードな曲達(しか)を披露する機会が年々口コミでかなりの数で増えているから、本当に大沢さんの文が実感として湧いてくるのだ。


かてて加えて引っかかるのはその点の中の「幸も不幸も関係ない」というところで、ぶっちゃけて言ってしまえば僕の歌はほとんどが表には出来ない絶望的事態にあまりに多く直面して、挙句病気になり、それらの悪夢がきっかけとなってそのまま歌になって出てくるわけで、でも本当に切実に人並みの幸せを感じてみたいという思いがさすがに41歳にもなると出てくる。


でも地元のベテラン保健福祉士さんは「今村君の音楽は趣味レベルなんかじゃない、素晴らしい曲達よ!貴方は売れなくても音楽を中心に生きていくべき人なのよ!」とこの10年間もう∞数言われている。だから僕が音楽を止めてまっとうなサラリーマンになろうとしたら大反対された。「貴方にはサラリーマンと音楽の両立は無理よ!」とはっきり言われた。ま、結果は「さすがベテラン」って感じでした(--〆)。


言うまでも無く僕は全く売れてないミュージシャンだが、その理由が具体的に判った1つは時々聴く最近のHIT曲達やカラオケなどで歌われる若いミュージシャンたちの曲を聴くと上下、良い悪いとかじゃなく「僕の創る曲の傾向とは明らかに違う」ということだ。その度に「ああ、これじゃ俺は売れねーわけだ」と思う。でも曲は知識や論理で創るものじゃないから「俺は俺」で開き直っているけど。


ただなぁ繰り返しになるけど僕の音楽も病気を含めた人間性も理解あるソウルメイト、つーか恋人がさすがに欲しいよ。もう超みっともないこと書いているけどソレ、結構切実。でもこの41年間、モテた試しがないからなぁ。ホント、みんなどうやってソウルメイトに出逢ったんだろう?ヒキコモリでアンダーグラウンドミュージックが好きなところで既にTHE ENDなのかなぁ。