昨日の記事の追記だが、その亡くなった先輩とはいつも大学で一緒につるんでてまた家もサークル内では僕が一番近かった。毎年命日に花束を御実家の方に贈っているのだが恐れ多くも今、僕が福祉関係やその他LIVEで使用しているギターは先輩の形見のエレアコである。非常に良い音がする、と皆が皆そう言ってくれている。


僕は21歳の、他の人達や同じバンドのメンバーさえも「お前の曲は音楽じゃねー、やりたくねー」という意見しかなくて完全に自信を失くして本気で曲創りを止めようか?と思っていた時にその先輩が「君はナンダカンダ言ってイイ曲創るよ。もっと自分に自信を持て」と初めて言葉にして僕の音楽を認めてくれた人なのである。その時の言葉がどれほどの励みと救いになったか?それでまた曲創りを始めた。


判り易く例えればOZZYにとってランディローズがそうだったように僕にとってはその先輩が僕のランディローズ的存在だった。実は音楽サークルに入るのを決めたのもその先輩と一緒に帰りあまりにギャグのセンスが面白くて楽しかったので「ああ、こういう人がいるサークルなら入っても楽しいだろうな」と思ったのがきっかけ。僕が毎年命日に花束を贈っているの...もOZZYだけがランディの命日に花束を贈っているからである。


サークルに入って一番最初にセッションしたのがその先輩で曲はOZZYの曲諸々。そして悲しいが最期にセッションしたのも僕だった。卒業後電話があって「バンド組みたいからベースやってくれ」と頼まれた。練習は真夜中の深夜料金パック。深夜なので帰りを心配してたら先輩が「俺が車で送ってやるから心配するな」とおっしゃってくれた。しかも近い道があるのに「夜の海辺は綺麗だから遠回りしてもそっちで送るよ」とわざわざ遠回りをして家にまで送ってくれた。それと先輩の職場の担当地域が偶然にも僕の住所の当たりだったので「サボりたい時はお前の家にいくからな~」とも言っていた。


で、練習の時に僕が思い付いたベースラインをずっと弾いてたら帰りの車の中で「あのベースラインから曲に出来そうだな、今度はそれを創ってみようよ」とおっしゃってくれた。結局、それがそのバンドの最初で最期の練習になってしまったが。曲創りはいつもあのギターで創っている。


不思議な夢も2度ほど観た。実は1回目の自殺を図った時期に夢の中で先輩とドライブをしててコンビニによって「お菓子買ってきますよ」と車を出てコンビニでお菓子を買って車に戻ってドアを開けようとしたらドアに鍵がかけられていて車の中から先輩がいたずらっぽく笑ってその瞬間にシュンッっていう凄まじい勢いで車が飛び出して行った。


もう1つは御両親から「息子の演奏している姿を見たことないんで1周忌の時に皆さん演奏してくれるように今村君、申し訳ないけど手配してくれますか?」と言われ正直な話、もうみんな卒業して「ちょっとかなりコレは大変だなぁ」って思ったのだが、その夜夢に先輩が出てきて「今村、本当に有難うな」と言って「お札に何か奢るよ」とニコニコしながら言ってて高い高級レストランを連れて行ってくれそうだったのだが、僕が「ココは高いですよ、ファーストフードで充分ですよ」と言ったら「相変わらず君はそういうことに気を遣うんだねぇ」と言ってその瞬間「あ、もう亡くなっているはずだ」と思ったらその瞬間に目が覚めた。とにかくそれでナンとか楽器のレンタルの手配からバンドの編成まで僕が主だって凄い立派なホテルでその演奏付きの1周期を無事終えた。素晴らしい1周忌だった。


僕がこの人から「言葉でなく」教えてくれたのは「見返りを求めるな」ということだったと思う。実際、サークルでギター弾いてくれる人がいない、って時にはいつも先輩が「自分の好みの音楽ではない」のにHELPで入ってくれていた。それでも恩着せがましくなくギターを弾いていた。この人に救われた人達は多いと思う。本当の意味での優しさを持っていた人だった。だから「本人の本当の為に」言う時は言うし、逆に落ち込んでいる時は心底励ましてくれていた。


そういう人だからいつの日か誰かと結婚して温かい家庭を築き、報われると想っていた。毎年命日に花束のお札のお電話を御両親から頂くのだがその時には毎回「今村君はウチの息子の分まで生きて幸せになる“義務”があるのよ。“権利”じゃなくて“幸せになる義務”なのよ」と。


でも良い曲が浮かぶとそれだけでも充分に幸せを感じる。あまり多くの事や高き理想は持ってない。今の僕の曲をもし聴いたらビックリするだろうな。僕はサークル時代はマニアックな激しい音楽好きだったからなぁ。其の形見のギターでまたバラードが浮かんだ。ものの数分である。そう言えば卒業コンパの時に「お前は良い人見付けて幸せになれるよ」っていってくれたなぁ。「見返りを求めるなあ」なひとだったからこそ本当に恩返しなきゃな。