僕は鬱病、拒食症、自傷癖、と診断されて1995年には謎の失踪を遂げその後、自殺の名所セバーンス川の川辺で車が発見されたが現在に至るまで確たる遺体も情報もないまま2008年にイギリスの裁判所で「死亡認定」されたマニックスのサイドギターで何よりも「作詞家」として活躍しいた、リッチーエドワーズの信棒者だが「作詞家」としては認められているという共通点から発している部分、そして何より全く同じ病気、障害を持つモノとして他人とは思えないからだったりする。実は当方も3回ほど失踪しているんですよ。携帯の留守電に「お願いだから死なないでくれ」って両親と友人達からメッセージが入ってたので返りましたが。っていうかあの時のことよく覚えてないンfだよねぇ。
リッチーが「有り得なかった」はずの「2度目」の「来日公演」の時のインタビューで「俺を愛してくれるモノは必ず俺から去っていく。だから俺には人を信じるという事が本当に難しいことなんだ」という言葉が当時から既に過酷な日雇いの肉体労働をしながら重度の鬱病に罹っていた僕の心の琴線に触れた。というのも全く同じ経験をその数年前から何度も繰り返してきて人間不信になったからだ。情けないが未だにトラウマになっている。
リッチーの腕にも僕の腕にも激しいナイフの自傷跡がある。痛みとかそういうことは一切考えなかった。ただ切りつけて、切りつけて…アレは一種のトランス状態だな。その後、僕は警察に保護されたままリハビリ施設に入ったがそこのプログラムを全然真面目にやらなかったし、信じてなかった。自分の病気がそんなプログラムで治るモノか!?とむしろ憤りを感じていたので、気が付いたら41歳の今でも病気と障害を抱えたまま生きている。もう40代かよ(--〆)。
そこで思い切り矛盾しているのが「生きている内は音楽を創り続けよう」ということ。それって前向きっていうんじゃないの?と自分で自分に突っ込みを入れたくなる。まぁ曲を聴いて判断してもらう
しかないか…(--〆)。でもよくあるでしょ?創り手の作品と創り手の人間性は必ずしも一致しないって。アレの典型かも?ゴンチチのチチ松村さんなんかかなりの変わりモノだし。