鬱が酷い。加えて極端な自己嫌悪。嫌気がさすのに嫌気が差した、
といやつである。根深いところに原因の傷口があるのは判っている
のだが、自分自身がその傷に関わりたくないので長い間、放置して
いる。ただその割にはリハはまぁまぁ。今までこういう状況を何度
も繰り返している。こんな状態の時、まさに昨日書いた「幸せを諦
めて歌を書く」というのを地で行っていると実感。ただギターを弾
いて歌を歌えるだけの状態にはしておいてくれ、と切に願う。両親
もまさか俺がこんなに病んだ人間になるとは思っていなかっただろ
う。親不孝をしている、というやはり自己嫌悪。来週は本格的な外
出のためのリハビリでディズニーランドへ行く。最近は起きてない
が癲癇の発作、また長い時間電車に乗っていられるかどうか、鬱と
強迫観念と不安神経症が少しでも外部の世界と慣れるために、とか
etc。ディズニーにしたのはそこが「人が楽しんでいく場所」だ
からである。心身の状態が外出が出来るかどうかを確かめ取り掛か
るには手堅い判断だとは思う。書く歌は近年前向きな歌ばかりなの
だが肝心の作者が実際は社会不適合者の部類に属している。何度も
頭の中で「幸せを諦めて歌を書く」という言葉が思い浮かぶが本当
に言葉で書くほど楽なもんじゃない。