私はたまに、走っていたり、走っている人を見たりしていると、妙な気分になっちゃうことがある。走る走るとよく言うけれど、本当にみんな「走る」をやっているのか、なんだよ「走る」って、と。


ゲームのキャラクターを操作するんだったら、「走る」と書かれたコマンドを入力すれば、キャラクターは間違いなく「走る」。でも、実際の人間はとる行動の名前が書かれたスイッチを押してそうするわけじゃない。代わりに、比較的速い速度で徒歩移動をしていれば他人から見れば「走る」をしていることになる、というように、その人がしている行動を誰かが見て「〜している」と言ってあげないと、その行動をしていることにはならない。


これは逆に言えば、「走る」をしているように見える行動さえしていれば、「走る」をしていることになるのだから、たとえ本人がどのようなイメージや体の動かし方をしていたとしても、「走る」ことはできる。


つまりは、私が人に「走れ」と言われてとる行動の中身と、あなたがそうする行動の中身は、お互い体を乗っ取り合わない限りわからないことだけど、多分同じじゃない、ということになる。


こうなってくるから、私が走っている時や走っている他人を見ている時に、自分は走れという指示に沿った行動をとっているし、あの人は間違いなく走っているんだと思うけど、本当に同じことをやっているんだろうか、という疑いが生じて、妙な気分になってしまう。


確かに、走っている2人の人間を透かして見て、「2人とも同様にこことここの筋肉を動かしてこの関節が〜」というのを指して同じ事をしている、と言うことはできるのかもしれないけど、そんな説明は日常的な感覚とはかけ離れているし、意志を持たないボールが2つ全く同じように坂を転がっていくことの説明をされているのと同じで、意志持つ人間が「どういうつもりで「走って」いるのか」という引っ掛かりを取ってはくれない。


当然この疑問は走る以外のどんな行動にも当てはめられることではあるけど、走るという行為に私が感じる滑稽さも相まって今回わざわざ投稿してみました。


あなたの「走る」は私の知っている「走る」ですか?