1.ザ・スパイダースの名付け親は


ムッシュかまやつのデビューは1958年。神宮のスター長島茂雄がプロ野球デビューした記念すべき年だ。

ムッシュはこの年、カントリー・ウェスタンでキャリヤのスタートを切った。なにしろ古い。ウェスタン・カーニバルで有名なロカビリー時代のそのまた前にデビューしたっていうんですから。

今の若い人はウェスタンが日本で流行ったことなど知らないでしょうね。この頃はカントリー・ウェスタンのバンドが沢山あった(聞いた話です。私はそんな年寄りじゃありません)。


グループ・サウンズの時代にも活躍したスイング・ウェスト。このバンドはカントリー・ウェスタンの出身です。守屋浩や湯原まさゆきもここにいた。亡くなった北原謙二さんもいたことがあるそうです。彼が鼻にかかったウェスタン調の声で歌っていた北風(ノース・ウィンド)を覚えている方もいるはずだ。


もう15年ぐらい前になるだろうか。ムッシュが昼間のテレビ番組『徹子の部屋』でしゃべりまくっていた。

「こないだ六本木で良子を見かけたのよ。

それでね、アマンドの前を歩いてたあいつに道路を挟んで声をかけたわけ。

オッキナ声でさぁ。

良子ぉ ぉ、あれちゃんとヤッテルぅぅ? って。

そしたらアイツ。みんなが振 り返る中でさぁ。

うーん、ちゃんとヤッテルぅぅーって。

そう言ってた。いいね ぇ、元気で」


森山良子さんとムッシュは従兄妹(いとこ)の間柄です。ジャズ・ミュージシャンだったムッシュのお父さんのティーブ・釜萢(かまやつ)と森山久(森山良子さんの父)が義理の兄弟だった。


以下はウィキペディアからの引用です;

ティーブ・釜萢(かまやつ)
1911年に、洋服店を営む日本人の両親のもと、アメリカのカリフォルニア州、ロサンゼルス近郊で日系アメリカ人2世として生まれた。その後音楽に親しみ、バンジョーやギターなどの楽器を習得し、演奏を行うようになる。

来日
その後日系人のバンド「ショー・トーキアンズ」に加入したものの、アメリカは当時大恐慌下で、アメリカでは日系人には職が得られなかったため、第二次世界大戦勃発前の1930年代に来日し、日米間を運航する客船のバンドで演奏した後、東京府をベースにジャズシンガーとして活躍していた。淡谷のり子のバックバンドをやったり、中華民国の上海に赴き「上海バンスキング」のモデルとなった店で演奏する。

なお、この頃おなじく日系アメリカ2世で、日本に渡ってジャズをやっていた森山久(森山良子の父)と親しくなる。釜萢は日本人女性と結婚したが、その関係で森山はその妹と結婚し、「妻どうしが姉妹」の義兄弟の関係になる。

ちなみに、GSの『ザ・スパイダース』の名付け親はティーブ釜萢さんだそうです。