(1)
実は昨日、朝早くから訪問者があって奥さんに起こされた。ワタシは心臓の脈拍数が1分間に40台。マラソン選手でもないのにスポーツ心臓のようになっている。起きてすぐに立ち上がると目眩がしそうになります。

こう書くと年寄りみたいですが、ワタシは見た目は若い、つもり。見た目だけではなく、いつかシニアの県レベルの陸上競技会に出て100mで優勝しようという不遜な野心を隠し持っている。あっ、バラシテてしまった。

ワタシのプロフィールを見た読者は覚えているかもしれませんね。みんなの一問一答という欄がある。その2問目が『最近特にハマッテいること?』という問いです。

ワタシの答えは『50mダッシュ』。

ワタシはかなり本気なのに、なぜか『ウマイ!』をクリックした方が6人。『納得!』が7人。

正直、この数字を見るたびにワタシは思う。これをクリックしてくれた方は、いったいナニが『うまい!』と思ったのか。ナニが『納得! 』なのか。

おっと、また話が横道にそれてゆく。ワタシが言いたかったのは、いきなり寝込みを襲われて外の寒い空気に曝されたワタシは夕べから風邪気味だということです。

で、お気楽な話でお茶を濁すことにした。題して『病気のコアラはどうやって塀を乗り越えて恋人のもとに辿り着いた?」です。

ナンカ面白そうですよね。こっちの方が。[続く]




(2)

コアラの話を思いついたのは3月11日。Mr.DeruAna(出穴) さんのブログを訪問した時だった:

今日は『パンダ発見の日』だそうです。
138年前の3月11日に中国で発見されました。
『1869(明治2)年、中国・四川省の民家で、フランス人の宣教師
ペレ・アルマン・ダビット神父にが発見しました。この宣教師に発
見されるまで、人々の目に触れたという言い伝え、書物の記述は
なかったという。パンダは約100年前に突然われわれの目の前に
現われた珍獣である』(月刊パンダ より抜粋)

これを読んだ瞬間、ワタシの頭に「そうだ。コアラの話を書こう」というアイデアが浮かんだ。ちょこっと新聞で読んだ面白い話が記憶に残ってたんですね。死期の迫ったコアラの恋の話だった。

コアラについては思い出もある。

僕が大学に入学した年でしたね。バイトで知り合った女のコと新宿歌舞伎町のコンパに行った。当時のコンパは今のコンパとは大違い。簡単に言えば洋式のトイレ、じゃなくて洋式のグランドバーのことです。当時はかなり流行った。

サイドバーとかピンクレディーとか、メニューに載っているカクテルを右から順に片づけている途中だった。彼女がワタシをとろんとした目で見ながら言ったもんだ。「あなた、コアラに似てる」

コアラに? ユーカリの木にしがみついてる灰色のボヤッとした顔の?

彼女がワタシに何を見たのか、ナニを言いたかったのか。ワタシにはいまだにワカラン。その後、ほかの女のコからコアラに似てると言われたこともないし・・・ワタシはこの大きな謎を前にしていまだに悩む、悩み続ける・・・なーんて。

それはともかく・・・

当時、世界の三大珍獣と言えばパンダにコアラに・・・もうひとつはアレだったよな。と思ってネットで検索すると重大な事実が判明した。もうひとつは思ったとおりオカピだったんですが、なんと、コアラが三大珍獣の座から外されてコビトカバが後釜に座っていた。

うーん。コアラのお話。どうも2回ぐらいで終わるテーマではなくなってきた。[続く]


(3)
コアラは神経質な動物だそうですね。オーストラリアの動物 園では入園者にコアラを抱かせるのを売り物にしていて、日本の観光客にも人気 がある。ところが抱かれるほうのコアラはストレスで病気になって早死にしたりする。そんな訳で、コアラを抱かせるサービスは廃止するべきだという声もある そうです。

繁殖もけっこう難しいらしい。雌コアラがなかなかその気になってくれない。三高じゃなきゃヤダとか、選り好みが激しいんでしょうね。

不治の病に罹った雄コアラが必死の思いで塀を乗り越え、隣りの房にいた雌コア ラとの恋を成就させた。

この話はワタシ、新聞で読みました。で、このブログを書くために心当たりの時 期の新聞を探したんですが、すでにトイレットペーパーに変わった後だった。

そういう訳で、以下のお話はワタシの乏しい記憶をたどって構成したものです。

その雄コアラ。名前はモモジにしときましょう(理由はいずれ説明します)。

モモジは癌かなんかの重い病気に罹っていて、余命いくばくもなかった。担当者 は心を痛め、せめて余生は安楽に、と心掛けていたそうです。そのうちにコアラ の恋の季節が来た。ワータシはハダシデぇぇぇ、チッチャナカイノフネぇぇの恋 の季節です。

死期が迫っていて精彩がないモモジ。それでも恋の季節は容赦がない。隣りの房 にいる雌コアラが何やらお尻のあたりから気になる匂いをまき散らす。それが風に乗ってきてモモジの鼻先を甘くクスグル。

もともと好き者だった、おっと失礼、雌コアラに人気があったモモジ。むっくり と病床から起き上がると、匂いがやってくる方向をキッと見やった。座して死を 待つよりは男らしく最後のオツトメを果たそう。そしてデキウレバ、夜明けのコ ーヒーを2匹で飲もう。そんな決意のこもった目だったそうです(ワタシの想像ですけどね)。[続く]




(4)

コアラは普段、園内では夫婦別姓だそうです、じゃなかった。園内別居だそうです。彼らの生態を考えるとそれが自然でしょうね。なにしろほとんど1日中ユーカリの木の股のところに腰掛けて寝てますからね。

雄コアラと雌コアラが仲良くイチャイチャノンノンなんかしていると、いつ木から転落して天国行きになるか分からない。だから平安時代の貴族のように通い婚です。

恋の季節がくると、使いのモンに託してユーカリの葉っぱに爪で書いた和歌なんかを贈る。『ユーカリの 葉にぞ籠もれる 君を見て そぞろもよおす 我ならなくに』なんていう藤原定家はだしの名歌を残しているコアラもいるそうです、なーんて。

すぐ隣りの房では雌コアラが匂い付けをしたり、甘い鳴き声を出して誘ったり、しきりにモモジにモーションをかける。モモジは病いを押してフラフラと立ち上がると、房を隔てる塀だか壁だかを爪でガリガリと引っかいて求愛に応える姿勢を見せてたそうです。

男の、いや雄の本能といえばそれまでだけど。ナンダナァ。死期が迫っているというのに、見上げた根性だ。見上げたもんだよ、タヌキのナントカというコトバもあるが・・・関係ないか。いや、とにかくですよ。モモジの気持ちは痛いほどわかる。書いていても涙が止まりません。だから今日はここまで。[続く]





(5)
生き物というのは、死期を悟ると我が遺伝子をこの世に残しておこうという意欲が旺盛になる。これも本能の成せるワザなんでしょうね。

小林秀雄が生前、老桜の名木があるから見に来てほしいと請われ、友人と一緒に足を運んだ。その年はまた満開の花、花、花。美しさも格別だった。

後でその桜が枯れ死にしたという報せをもらった小林秀雄は、ああ、あれが死に花というものだったか、さすがに見事だったと感慨に耽ったそうです。

モモジもパッと死に花を咲かそうとしたんでしょうね。盛んに隣りの房に行きたがる。行かしてやりたいのは山々。でも人気者のモモジを何かの不注意で死なせるわけにはいかん。世話係も大いに悩んだ。悩んだ挙げ句、腹上死のリスクも考えて、モモジの老いらくの恋にストップをかけた。

哀れ、秋風よ。ココロあらば伝えてよ・・・モモジは涙をふるって旅に出る決心をする。西行法師みたいな心境だったでしょうね。

今宵 逢瀬を待ちわびる 君の幸せ祈りつつ 旅に逃れる 哀愁列車(生前、モモジが愛した歌謡曲,哀愁列車の一節です)

コアラは夜行性。だから夜行列車ですね。モモジは夜汽車に乗って動物園をひとりで、いや一匹で去ってゆく。

いやぁ。また涙が止まらなくなった。

なんて感動に浸ってる場合じゃない。モモジと雌コアラの恋。実らなかったはずなのに、それから数週間後、雌コアラの様子に異変。妊娠の兆候。

はて? コアラの世話係は首をかしげた。[続く]