半年以上、まともな睡眠が取れない日々。
頭は常に重く、心の中では「イライラしてごめんね」という申し訳なさと、「どうして上手くできないんだろう」という情けなさ、悔しさが渦巻いていました。
家事をこなしながら、ずっと我が子を抱っこし続ける毎日。
肘も手首も限界を迎え、腱鞘炎で2回も注射を打つほど満身創痍だったけれど、私が本当に望んでいたのは「子どもと離れること」なんかじゃありませんでした。
むしろ、「ただ、この子と一緒に笑っていたかった」。
それなのに、一番理解してほしかった夫からの「子どもと少し離れた方がいいんじゃない?」という言葉。
自分自身に失望しているところへ追い討ちをかけられるように責められ、私の自信は木っ端微塵に砕け散りました。
体育教員としての復帰、消えていく娘との時間
産後一年半が経ち、仕事に復帰した私を待っていたのは容赦のない現実でした。
時短勤務は叶わず、体育教員としての過酷な日常。朝早くからのグラウンド整備、放課後の部活動指導、神経をすり減らす保護者対応……。
仕事帰りが遅くなり、娘と一緒にご飯を食べることもできませんでした。
疲れ果てて帰宅し、せめて娘の顔だけでも見たいと思っても、寝かしつけをしている夫からは「今寝るところだから」とシッシッと追い出されてしまう始末。娘に会うことすら叶わない毎日でした。
そして朝も、娘が目を覚ますより前に出勤しなければならない。
「何のために働いているんだろう」「娘のために頑張っているはずなのに、顔すら見られないなんて」……。
休日になっても頭の中は仕事のことでいっぱいで、「今日も娘としっかり向き合えなかった」という強い喪失感だけが、胸の中にどんどん溜まっていきました。
「このままじゃいけない」と思って夫に相談したとき、返ってきたのは冷たい一言でした。
「子どもと離れたいと言ったり、居たいと言ったり、どっちなんだよ」
違う。離れたいなんて一度も言っていない。
私はただ、「どうしたらいいか」を一緒に考えてほしかった。
弱音を吐いて、共感して、「大変だよね」と話を聞いてほしかっただけ。
アドバイスが欲しかったわけじゃない。増してや、私の気持ちを否定してほしかったわけでもない。
否定されるたびに八方塞がりの絶望の中に落ちていき、自分の居場所も自信も完全に失ってしまいました。
否定の底から、自分の足で立ち上がるまで
誰にも気持ちを分かってもらえない暗闇の中で始まった、双極性障害との闘い。
ですが私は今、「薬に頼らず、自分の力で克服する」という選択をして、少しずつ自分を取り戻す歩みを始めています。
あの頃の私に、そして今同じように「話を聞いてほしいだけなのに否定されて苦しんでいる」あなたに伝えたい。
あなたが感じていた悔しさも悲しさも、決してわがままなんかじゃなかった。
ただ一生懸命に、子どもと、仕事と、自分の人生に向き合おうとしていただけなんだということ。
このブログでは、絶望の淵にいた私がどのようにして薬を手放し、心と身体のバランスを取り戻していっているのか、そのリアルな過程を綴っていきたいと思います。