電気が3日振りに復旧した。

水道、ガスはだめである。
ガソリンもないのである。


それは、想像をはるかに越えた悪夢の時間だった。


お昼休憩が終わり午後の仕事が始まってまもなく私の携帯のエリアメールがけたたましく鳴った。

スタッフ全員と咄嗟に外に出た。

出た瞬間に立っていられないくらいの揺れがきた。

駐車場の車の揺れが凄かった。

とにかく建物から離れる事を考えた。

時間にして2分位だろか、非常に長く感じた。

これが三年以内に99%起こると言われてきた宮城県沖地震なのかと咄嗟に思った。

S53年にも壊滅的な被害をもたらした、宮城県沖地震も経験したが、その時よりも揺れも強く時間も長い。
いままで体感したことのない揺れと周りの光景である。

揺れがおさまってから職場の建物に入ると様変わりしていた。

停電していて、足の踏み場もないのである。
それからは余震の嵐である。
手の付けようがなかった、携帯も固定も電話はつながらない。

どうする事も出来ないのである。

余震も何度となくある。

家も心配だったので、間もなく車で帰宅する事にした。

外は雪が降ってきた、一時吹雪状態である。

もちろん信号は完全ストップ。

激しい渋滞である、いつもは30分で自宅に着くのであるが三時間かかった。

渋滞で停車してる時も余震がきた。

生きた心地がしない。

家に着いたらなんと家のなかは朝の状態である。

そういえば家は耐震住宅であった。

パソコンのモニターも倒れていなかった。

家の中はほとんど被害ゼロである。

ただし、ライフラインである電気、ガス、水道が使えない。

真っ暗である。

ロウソクの生活である。

ガソリン、灯油も買えない。

ガソリンを入れるためにはスタンドに2キロ位並ばないとだめである。

スタンドもタンクローリー車が来ないため10リットルしか入れられないのである。
折角並んで前の車で打ち切られるなんて事もあるのである。
開いてるお店をないため食料品も買えない。


いとも簡単に現状の生活が覆えるのである。

ラジオで津波の話をしていた。

たまたま、ラジオとロウソクがあったから良かった。
反射式のストーブもあったからよかった。

食物はパンとかお菓子があった。

携帯は全然つながらない。
繋がらないというより圏外表示である。

固定電話もうんともすんとも言わない。

親戚、知人には連絡できないのである。

ラジオではメール、通話が難しいのでSNSも通信の手段だと言っていたがiモードもだめである。

それに停電してるので電池残量も気になる。


コンビニも閉めてるため電池も買えない。

こうなると携帯は諦めなくてはならない。

連絡手段がないのである。
とにかく朝まで何もできないのである。

余震が激しく寝ていられない。

早めに起きて翌朝、職場に向かった。

車中でテレビを見て津波の被害を知った。

被害がまだ把握できないような報道である。

職場には来たもののしばらく待っても誰も来ない。

やたら、171の伝言サービスを勧めているが電話がつながらないので使えないのではないのかな。

区役所で電話を解放してるようだが長蛇の列と言っている。

それにお年寄りなどはそういう操作はできるのでかなと、ふと思った。

まして、津波の発生した海岸添いは過疎化が進みお年寄り世代が多いのである。
そこを集落ごと津波がおそったのである。


また機会があったら続きますが、想定外の規模の津波で、幸いは命には別状はなかったのですか、知り合いの家族の家が流されたり職場の若い子の実家も流されたりと身近な場所でこのような大惨事が起き被害が出たという事がまだ信じられない、複雑な気持ちです。
時間が元に戻って前の状態で何も起こらなかった前の生活に戻ってほしいと思うのである。