芸術とは最も美しい嘘のことである


作曲家ドビュッシーの言葉です。

「嘘」をどう解釈するか。

「フィクション」ということなのかなと思います。
架空のことを創造する。

風景を描写した音楽であっても本物の風景ではありません。
でも、人はそれを聴いた時、自由な空想の中で最も美しい自然を描くことができます。

人の心の動きを描写した曲も然り。

音楽は思い描きやすい芸術。


その点絵画はどうだろう。

その絵を見た時にイマジネーションが膨らむことは同じです。

作曲家が見たとしたら?

きっと音楽が生まれることでしょうね。


「芸術とは最も美しい嘘のことである」


最も美しい嘘を創り出せる芸術は人の成せる業の最高峰と言えるかもしれません。

そしてそれは誰にでもできることなのです。
決して一握りの芸術家だけのものではなく。


その創造力をうまく使えていない結果が現状の地球環境であることも事実。

もっと創造力を磨こう。


求めよ さらば与えられん
尋ねよ さらば見出さん
門を叩け さらば開かれん


聖書の一節です。

求めているなら、尋ね、門を叩きなさい。

僕は行動できているだろうか。

欲しいものは欲しいという。
分からないことは尋ねる。
開けてほしければノックする。

これは簡単なようで意外に難しい事なのかもしれませんね。

この行動を邪魔するものは「プライド」でしょう。

欲しいなんて言えるか!
人に聞くなんて恥ずかしい!
開けてほしいなんて言えるか!

すごく日本男児的なんですけどね(笑)

求めよ さらば与えられん
尋ねよ さらば見出さん
門を叩け さらば開かれん

この言葉は、
ありのままの自分で他人に接しなさい。
素直な気持ちを伝えなさい。
自ら行動を起こしなさい。

そう言われているような気がします。



時間が過ぎ去って行くのではない。 
われわれが過ぎ去っていくのだ。

過ぎ去っていく時間、過去のことを思い返すと、懐かしく感じたり、あの時別の道を選んだら・・・などと考えてしまうもですね。

でも、過ぎ去っているのは「時」ではなく、「ボクたち」だと考えるとどうでしょう?

「時」を擬人化して、その「時」から見ると、ボクたちは未来へ過ぎ去って行っています。

時は止まっている。
それは始まりから終わりまで(もしかしたらループしているのかもしれない)果てしなく長いパイプのように最初から有る。

その中を動いているのはボクたち。

ある時、そのパイプの中で産まれ、ある時ボクたちは居なくなる。

少し虚しいようですが、「時」に思いを馳せると新しい見方が見えてきます。


時は
未来から過去へ流れているのか
過去から未来へ流れているのか
はたまた流れているのは僕たちの方なのか


今の僕にはよくわかりません。

このことはもう少し考えてみよう。




井の中の蛙 大海を知らず
されど 空の高きを知る


インターネットなど情報社会で大海を知っているつもりになっていても、実は井の中の蛙。
そういう人多いですよね。
たぶん。

しかし、深い井戸の中に住んでいても、志をもって空を見上げれば、そこにはどこまでも遠い空間が広がっている。

あの空の何を知っているか?

空のことは何もわかっていません。

でも、その空に憧れ、壁を這い上がり、井戸を出てみると、
なんとそこには、想像もしなかった、はてしない横の風景が広がる。

蛙は圧倒されることでしょう。

そして空を見上げ、新しい旅に出かけます。
それは、想像もしなかった新しい旅です。

井戸の中にいる時に、空の高きを知っていたからこそ始まった新たな旅。

僕はこの蛙のように生きていきたい。