やっと昨日わかったことがある。


私は保育が好きだから退職したんだ!ってこと。


17年の保育生活を通して、
私は自分を知る体験をさせてもらった。
自分に還る体験って言ったらいいのかな。


子どもたちと一緒に生活をすると、自分がむき出しになる。
なぜなら、子どもたちがそうだから。



嬉しいとき鼓舞し、
楽しいとき腹から笑い、
嫌なとき全力で拒否し、
怒るとき命をかける。


そんな子どもたちに、頭で対応しようとしても、ムリ。
チンケなやり方では、まったくもって心の中をのぞかせてはくれない。


子どもたちは、私たち保育者を育ててくれているんだ。
腹を据えて、全身全霊で向き合うことでしか、心と心の触れ合いはできない。
それは、保育者自身の人生を変えてくれるほど素晴らしいこと。




思えば私は、いわゆる保育業界で言うところの「大変な子」ばかりを担任させてもらった。



虐待を受けている子
両親に置いて行かれた子
親が人を刺し刑務所に行くことになった子
ママが服役中に生まれた子
「死んでやる」と2階から飛び降りようとする子
園から裸足で脱走する子
「死ね」「くそばばあ」しか言わない子
クラスの給食を鍋ごとひっくり返す子
手当たり次第に噛みつく子




出会う4月。クラス内はすごいことになる。
当たり前だ。

朝の会なんて成り立つはずもない。
給食さえ落ち着いて食べられない。
常に誰かが泣いたりケガをする状況。


保育のセオリーではまったく太刀打ちできない。


「なかよくしましょうね」
「お友達の嫌がることはやめましょうね」

なんて、ドラマに出てくるイメージ保育士みたいな呑気なやり方で

今まさに相手の胸ぐらをつかんで、殴りかかろうとしている子の気持ちが切り替わるわけがない。



なんで私ばっかり?
なんで私ばっかりいつもこんな大変なクラス?


って思ってた。




その答えがやっとわかったんだ。17年かかった。





それは、




そんな出会いでもしないと
私は本当の自分をさらけ出せなかったから。

理性で、小手先でやりすごせる子どもたちでは、永遠に私は自分と向き合うことはなかっただろうと思う。




攻撃性の高い子たちの真の姿は
繊細で不器用でどうしようもなく愛を求めてる子。
だからこそ
自分の一番ドロドロしたとこを見せてきて
「これでもボクを受け入れてくれるの?」
と試してくるんだ。


飛び降りようとするなんて命がけだよね。




もう、こっちも愛をもってでしか同じ土俵に上がれない。




そんな子どもたちを、ひたすらひたすら受け入れていくと、たった一年でも、
「自分がすき、先生がすき」
になっていく。


そんな奇跡ばかり見せてもらってきた。



それってさ


先生もドロドロしたとこを見せて、認めて、自分をすきになりなよ。こんなに幸せだよ。




っていうことだったんだ‼︎‼︎





それができて、ようやく、保育のあらゆる手法が体現できるんだろう。


保育者が
自分とはなんぞやがわからないまま、いくら世に出回る素晴らしいとされる教育方法をやってみたところで

魂で生きてる子どもたちに響くわけがない。



保育者の心と
子どもたちの心が
響き合う
ということは、


年齢や立場を超えて、
互いに人間として、そこで満開に生きる。
ってことだと思う。



こんな素晴らしい仕事ってあるだろうか。


仕事をしながら、自分に還ることができるってなんてお得で尊いんだ‼︎‼︎‼︎



私は
とにかく自分に重い蓋をしていたから。

そんな私だから、愛をむき出しにしてくれる子たちと出会えたんだと思う。


そうでもしないと、蓋を開けられなかったんだな。



育休があけて、復帰したラストの1年で、
その確かめができた。



だから退職を決められた。


私は保育がだいすき。


だから、いったん現場を離れる。


そして、新たな場所で、
保育の素晴らしさや面白さ、奥深さを広める活動をしていきたい。


今まで出会った子どもたちとその家族の皆々さま。
一緒に働けた仲間。チャンスをたくさんくれた上司。
そして、次なる舵取りができるように私を岩戸から出してくれた素晴らしい出会いに感謝しかない。