由香ちゃ~ん、
メルマガ第一弾からタイムリー過ぎてビビってます!



ちょうど前日に、怒りに振り回されて、
そんな自分がやんなっちゃって、
怒りを感じる自分は未熟なんだー…て落ちてたとこだったの。



で、わーお!メルマガ読んで、解けたわ。
ねじれが。
でも、最後の決め手がまだよく見えてないの。
だから、書くから、聞いてね。





幼稚園後の公園での出来事。
一ヶ月ぶりにママのお迎え。
(それまで主人や祖父母の迎えだったの。
つわり→流産→手術とあってようやく私のお迎えが復活)



この一ヶ月、
主人の仕事時間に合わせて遊びたい気持ちを抑えて
直帰してくれてた息子。
久しぶりに私の迎えだと知って、
友達に駆け寄り「今日、公園で遊んでいけるよ!」と嬉しそう。





いざ、近くの公園へ。
で、遊ぶ。めちゃ楽しそう。

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30分後。なんかおかしい。
息子の行動がやけに粗暴。相手にいちいち突っかかる。





なにやらいざこざ。
パンチやキックが出だした。
本気で当たってる。
双方が打ち合いならほっとくが、
我が子だけが一方的なファイティングモード。
止めに入る私。
今度は私を叩く蹴るの息子。
また、友達に殴りかかる。
息子を引き離す。
また、殴りかかる。
息子を引き離す。
引き離されたのが気に食わず、
私の背中を全力でパンチしまくり、本気のキックも炸裂。
「痛いからやめて」というも聞く耳なし。





ここで私の怒り爆発。



私は他のお母さん達に背を向けて、駐車場に向かって歩き出していた。
怒っている自分を見られたくなかった。
自分の子が暴れる姿を見られたくなかった。



で、その感情の結果。「今日は帰る」と私。




遠くにいるママ達に「今日はこれで帰るねー」と叫んで、車に乗り込む。
息子も暴れ泣きしながら乗る。




乗り込んだ途端、ワーワー泣けてきた。
子どもみたいにしゃくりあげて泣いた。
その勢いに驚いてる息子の空気を背中で感じる。





5分くらい声をあげて泣いて、
だんだん私の泣きが弱まってくると
「ごめんなさい」と息子がつぶやく。
いいよ、と言えない私。。。


息子があそこまで乱暴になるのは初めてだ。
家以外で私が怒りを抑えられなくなったのも初めて。
私が号泣してる姿も初めて見せた。




息子の火種は分かっている。
自分の知らない一ヶ月のうちに、
仲間の遊び方が変わり、
家から自転車やバトミントンを持ち寄って遊ぶようになっていたため
「自分も持って行きたかった」と言って拗ねていた。


ことの発端はそれだったんだと思う。
でも、それは単なるきっかけで、何か発散したいんだなー、もやもやを。と。
この一ヶ月、放課後に遊べなかったもやもや。
この一ヶ月、ママが寝っぱなしで、日常が違ったもやもや。
いくつか思い当たった。




家に帰ってから、息子と2人で話した。
気持ちは分かる。
ママはどんなあなたでも丸ごと大好きだから、
今日のことがあってもママは大丈夫だよ。
あなたが大好きだよ。


でも、友達を傷つけることはよくないんだよ。
Sくんを叩いたらSくんのママが悲しいんだよ。

ママがあなたのことを大好きなのと同じくらい、
SくんのママはSくんが大好きなんだよ。


友達を叩くあなたを見ていると、
ママはとっても悲しくなるんだよ。


周りの人に「あの子は叩く子だ。恐い子だ」
って思われちゃったら悲しいでしょ。

本当は優しい子なのに、誤解されたら悲しいね。
だからね、お友達は叩かないのよ。




こんな風に話した。
そしたら息子は「謝らずに帰って来ちゃったから、ごめんねのお手紙かく」
と言って手紙を書いてた。



で、私は相手の子のママにメールしたの。
そしたら「あんな珍しいKくん見て安心した。
Kくんでも、ウチの子みたいにあんなことする時あるんだね、
なんか安心したよ」って。
って返事がきた。
とりあえず、一安心。



でも、私、この返信になぜか釈然としない。





そんな時に「怒り」のメルマガを受け取りました。

ギャー!タイムリーや~。
自分の怒りを分析してみます。


そもそも私の怒りは、
自分の体裁を保てない時の焦りからくることが多い。




優等生な自分でありたいから、
それが壊されそうになったり、
否定されるようなことが起こると、焦る。

その場から消えたくなる。
そんな状況を作った相手を否定したくなる。




今回、息子が友達に手を出したこともそうだ。
本来なら、子どもとは、こうやって友達とケンカし合って、
揉まれて成長すればいい、と思っている。



他の子のケンカなら見守れる。
でも、それが我が子となると違ってきちゃう。
ウチの子は手を出さない子であって欲しい。と思っちゃう。



それはなぜか。



私は子育ても上手くやれてるし、
周りからもそう思われてる。
そうありたいから、自分の立場を揺るがすような出来事は受け入れられないんだ。
やなヤツ~。



だから、今回は息子に腹が立った。
私の子がまさか、友達に手を出すなんて…って受け入れられなかった。
いい子であって欲しいからだ。
私はいい親だと思われたい。
だから、我が子もいい子であって欲しい。
(いい子とは手を出さない子だという、薄っぺらな基準に縛られている)





でたー!
いい子の呪縛。




幼い頃からのいい子の呪縛。





いい行いをしたときだけ親や祖母から誉められる。
だから、いい成績をとり、生徒会をやり、部活でも部長。



そうやって形の成果で、
自分を固めれば固めれるほど、
周りからの評価は上がっていったけど、
自分のだらしない所やズルした所や出来ない部分を隠したいと思うようになった。



小学生の頃。
表では優等生で通っていた。
そんな私が陰でとっていた行動は、
近所の小さな子のぽっぺたを、
その子が泣き出すまでつねること。



それも人目につかない神社の裏で…。




優等生の私は陰でこんなことをしていた。



あのころは、何が自分をそんな行動に駆り立てたのか、
分からないでいた。
私の人生、順風満帆。
周りからは誉められてばかり。



なのに、幼き記憶には、
神社で小さな子のほっぺをつねる自分がはっきり写っている。




由香ちゃんのコンサルを受け始めて、
そしてこの怒りのメルマガを読んで、今ならわかる。




丸ごとの自分を出して、
全部を愛して欲しかったんだ。
本当は。




でも、自分で丸ごとを出さずにいた。
闇の部分を出したら愛されないと思っていたから。




今から思えば、自分の勝手な思い込みだったんだなぁ。




私は上手く隠していたつもりだったけど、
きっと親からしてみたら、
全部お見通しだったと思う。



だから、ほら、私は愛されていたんだよ。
丸ごと。
ただ、言葉に出して誉めらた自分の記憶が、
成績や成果に偏ってただけ。。
本当は丸ごと愛されていた。
それを、自分で受け取らないでいたんだ。




で、自分で受け取らないでいたくせに、
自然な自分を出せている人を羨まく思ってたんだ。


そう。
だから、部活でもお稽古事でも、
ズルして休んだりする子に無性に腹が立った。
意見してたりした。←真面目か!




なーんだ。羨ましかったんだ。
自分もそうしたかったんだ。本当は。
そうしていいよって自分に許可できなかっただけ。




長い間、許可できずにきた。




そして、今、母親になって、
自分の優等生の面子をつぶす行動をとった息子に怒りを覚えた。
けど、これ違うんだ。
羨ましいんだ。
自分の感情を丸ごとさらけ出せてる息子が羨ましいんだ。
幼き日の私は、幼き我が息子がすっごく羨ましいんだ!




そう思ったら怒りが消滅した。
おめでとう、息子。って思えた。
それで、◎だよって思えた。
だから、息子を諭したこの部分は訂正!
『友達を叩くあなたを見ていると、ママはとっても悲しくなるんだよ。周りの人に「あの子は叩く子だ。恐い子だ」って思われちゃったら悲しいでしょ。本当は優しい子なのに、誤解されたら悲しいね。だからね、お友達は叩かないのよ。』





そしたら、次の日から息子のステージが変わった。
私への愛情表現がハンパない(笑)\(^o^)/
なんなんだ、これは!
や~怖い。繋がりまくりなんだね、母子は。




そして、もう一つ分かったこと。
それは、自分を愛することができていない私は怒りっぽいということ。
いい子の呪縛のお陰で、とにかく私の怒りの沸点は低い。
思い通りにいかないとすぐイライラする。
自分は評価されるべき人物だ、
というしょーもない刷り込みがあるため、
ちょっと自分の思いが通らないだけでイライラする。家族に。




比べると主人はぜんぜん怒らない。




主人はムリしない人。
いつも自然でどんな自分でも丸ごとさらけ出す。
あー!これなんだ!
これって自分を愛してるってことなんだ。自分で自分を愛で満たしてるんだ。
だから、自分の機嫌はいつも自分で取れる人なんだ主人は。悲しみの器が広いんだ。
だから、副産物の怒りが少ない。

へ~。主人すごい^_^

だから、主人は緩んでる。
実際に身体なんか私よりずっと柔らかいし、
ぜんぜん病気にもならない。
へ~。主人ステキ^_^




次に、この怒りのタイミング。
息子が起こしてくれた今回の暴力事件(笑)
絶好のタイミングだったと思える。


理由1
流産があって、命についていろいろ考えた。
今一度、今ある2人の息子とどう生きるべきか考えていた。
そのタイミングで息子があの姿を見せてくれて、
丸ごと剥き出しの生き様を出し合える家族になりたい、と心から思えた。

愛すべきオリジナルの私でいられる場所。
そんな家族になりたいなぁと。

だから今回、
私がワーワー号泣する姿を息子に見せられたのも、
剥き出しの私への一歩だと思える。




理由2
保育という窓口を通して、
自分の思いを発信しようとしてきたけれど、
それは、優等生な子育てを見せることではない。

優等生の話なんて、誰も聞きたくないよね。
Sくんママの一言でそれに気がつけた。
「なんか安心したよ」
え。じゃあ、私今まで安心与えてなかったんだー。
緊張与えてた?ママ友に?
うひゃー、真逆やん。やりたいことの。




これから、何か発信していくにしても、
相手に安心感与えてないなら、受け手いないよなーって。
それに気がつけたタイミング。



だから、息子に感謝。
すべては、必然なんだわ~。




でもね、最後決め手が分かんないの。
自分の愛し方。
自分の嫌だと思う部分も、愛する方法が分かんない。
自分の嫌だと思う部分が出てきたら、ほらほらまた出てきたよって、楽しめばいいのかなぁ。
自分キモ(笑)って笑えれば、愛するってことかなぁ。