その後も予選落ちが続いていたが、第7戦のデトロイトGPでようやく23番手を獲得し、自力で決勝進出を果たすも、パレッティよりひとつ上のグリッドからスタートする予定だったチームメイトJ.Pジャリエが決勝前のウォームアップランでマシンを壊した為、そのジャリエにマシンを譲り、(チームはエースドライバーを優先した)決勝レースに出場することは叶わなかった。(結局チームメイトは僅か2周目でトラブルによりリタイアしている。)
そんな中迎えた第8戦カナダGP。
パレッティは前戦のデトロイトに続いて23番手で3回目の決勝進出を果たす。
ようやく通常のかたちでスタートすることとなったパレッティであったが、悲劇は起こってしまう…
この日ポールポジションからスタートするはずだったフェラーリのディディエ・ピローニがスタート直後にエンジンストールをさせコース上で立ち往生してしまう。
手を挙げて後続のマシンに自分の存在を知らせるピローニ。後続のマシンたちはピローニを避けて通過するも、後方スタートのパレッティは他のマシンに前を遮られ、停車したままのピローニのマシンに気づくのが遅れ、ピローニのマシンに高速で追突した。
パレッティのマシンは前部が押しつぶされ、パレッティは両足を骨折。胸部をステアリングで圧迫されるかたちになった。
さらに救出中にマシンが炎上してしまい、救出作業に時間を要した。
その後、病院に搬送されるも、胸郭破裂で死亡が確認された。まだ23歳という若さであった。
パレッティはピローニのマシンに追突した時に既に息を引き取っていたとされており、火災による火傷も殆ど見られなかったという説もある。
パレッティとオゼッラのマシン(カーナンバー32番)
この事故は、その後のF1において、1994年のサンマリノGPでローランド・ラッツェンバーガーの事故が発生するまで11シーズンもの間、レースウィーク中に発生した最後の死亡事故とされていた。
合掌・・・・。
【その他の出来事】
誕生日 服部尚貴(55歳)