本日6月13日は1982年のカナダGPでリカルド・パレッティの悲劇の事故が発生した日である。

リカルド・パレッティ(イギリス・23歳没)
F1出走8回(2スタート)

このシーズンからF1デビューを果たしたパレッティ。
所属チームのオゼッラは競争力のないマシンに苦戦し、開幕から予選落ちを繰り返していた。
1度も決勝進出を果たすことなく迎えた第4戦サンマリノGPでF1界における政治的紛争絡みでレースをボイコットするチームが出たことにより、僅か14台が参加した予選で13番手を獲得。初の決勝進出を果たしたものの、決勝では序盤7周目にトラブルでリタイアとなり初の完走を果たすことはできなかった。
走行中のパレッティ

その後も予選落ちが続いていたが、第7戦のデトロイトGPでようやく23番手を獲得し、自力で決勝進出を果たすも、パレッティよりひとつ上のグリッドからスタートする予定だったチームメイトJ.Pジャリエが決勝前のウォームアップランでマシンを壊した為、そのジャリエにマシンを譲り、(チームはエースドライバーを優先した)決勝レースに出場することは叶わなかった。(結局チームメイトは僅か2周目でトラブルによりリタイアしている。)


そんな中迎えた第8戦カナダGP

パレッティは前戦のデトロイトに続いて23番手で3回目の決勝進出を果たす。

ようやく通常のかたちでスタートすることとなったパレッティであったが、悲劇は起こってしまう


この日ポールポジションからスタートするはずだったフェラーリのディディエ・ピローニがスタート直後にエンジンストールをさせコース上で立ち往生してしまう。

手を挙げて後続のマシンに自分の存在を知らせるピローニ。後続のマシンたちはピローニを避けて通過するも、後方スタートのパレッティは他のマシンに前を遮られ、停車したままのピローニのマシンに気づくのが遅れ、ピローニのマシンに高速で追突した。


パレッティのマシンは前部が押しつぶされ、パレッティは両足を骨折。胸部をステアリングで圧迫されるかたちになった。

さらに救出中にマシンが炎上してしまい、救出作業に時間を要した。

その後、病院に搬送されるも、胸郭破裂で死亡が確認された。まだ23歳という若さであった。


パレッティはピローニのマシンに追突した時に既に息を引き取っていたとされており、火災による火傷も殆ど見られなかったという説もある。



パレッティとオゼッラのマシン(カーナンバー32番)


この事故は、その後のF1において、1994年のサンマリノGPでローランド・ラッツェンバーガーの事故が発生するまで11シーズンもの間、レースウィーク中に発生した最後の死亡事故とされていた。


合掌・・・・。





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