Dream - 夢
夢を語る文化、というのがこの国にはあまりないように感じる。
それは年を重ねるごとに言動を控えることが多くなっているようにも見受けられる。
しかし、そのような”控え目”な姿勢は若者にまで波及しているようだ。
最近、友人からこんな話を聞いた。
某社で就職活動の一環でグループディスカッションをおこなったときのこと。
面接官1人、学生5人。
面接官が学生に言った。
「それではこれから面接をはじめます。
まず、○○さん。あなたの夢を語ってください。」
もちろん、少なからず皆が動揺する。
このような質問はいわゆる”シューカツらしい”質問ではないからだ。
○○さんは用意していたような”シューカツらしい”答えを返す。
「御社に入って私は営業として・・・・・・」
「いやいやそうじゃなくて。あなたの”夢”を聞かせてくださいと言っているんです。」
「えっ?はぁ・・・」
彼は戸惑いながらもまだあくまで「会社」に絡めた”夢”を話す。
面接官が聞きたいことはそんなことではないのに・・・・
そのあと友人含む4人がそれぞれ答えた。
友人は夢と情熱にあふれた回答をした。
1人はまた同じような”シューカツ”らしい答えを言い、
面接官に修正されたあとに自分の持っている秘めた夢を語った。
1人はよくも悪くもない”無難”な回答。
1人は「夢はありません」といった。
面接官が「え?いいの?これで終わるよ?いいの?」という。
すると「じゃあ、ちょっと待ってください。いま考えます。」
といい、そのあとに何か喋ったというが覚えていないという。
面接を終え、帰りのエレベーターの中である一人が言った。
「てかさー、”夢”なんてないよなー。俺、即席でつくったし」
友人は衝撃だった。
彼は”無難”な発言をした学生だった。
発言はそこまで心を揺さぶるようなものでもなく至って普通の内容だったが
このような発言が出たことにショックを受けたという。
結局、その場で本当に夢を語ったのは2人だけだったのだ。
なんとさびしいことだろう。
”夢”をもつのは若いうちの特権、なんていうのに
若いときですら”夢”をもつことを放棄しているなんて。
夢をもつことを強要したいわけではないが
いったい彼らには何が見えているのだろう、と思う。
別に声を大にして言えるような美しい”夢”を持てなんて言いたいわけじゃない。
何が”夢”だって、その人にとって「わくわく」するものなら何でもいいと思う。
アメリカでは「what's your dream?」と話すのが日常だという。
香港では夢なんて語らずに目の前のことにとにかく必死になって取り組むという。
これはどちらも留学していた友達から聞いたことだ。
日本の立ち位置はどこなんだろう?
どちらともつかず、いたって中途半端な場所に立っているような気がしてならない。
夢を追いかけ必死に頑張るのでもなく
目の前のことに無我夢中になるのでもなく
ただ”その日”を楽しくラクに生きる、というような。
もちろんそれは日本国民全体がそうだというのではない。
しかし、かのグループディスカッションの様子が日本の縮図だと考えるなら
日本の未来が危ぶまれるだろう。
同じ”若者”として危惧を抱いたので
備忘録としてここにとどめる。
夢を語る文化、というのがこの国にはあまりないように感じる。
それは年を重ねるごとに言動を控えることが多くなっているようにも見受けられる。
しかし、そのような”控え目”な姿勢は若者にまで波及しているようだ。
最近、友人からこんな話を聞いた。
某社で就職活動の一環でグループディスカッションをおこなったときのこと。
面接官1人、学生5人。
面接官が学生に言った。
「それではこれから面接をはじめます。
まず、○○さん。あなたの夢を語ってください。」
もちろん、少なからず皆が動揺する。
このような質問はいわゆる”シューカツらしい”質問ではないからだ。
○○さんは用意していたような”シューカツらしい”答えを返す。
「御社に入って私は営業として・・・・・・」
「いやいやそうじゃなくて。あなたの”夢”を聞かせてくださいと言っているんです。」
「えっ?はぁ・・・」
彼は戸惑いながらもまだあくまで「会社」に絡めた”夢”を話す。
面接官が聞きたいことはそんなことではないのに・・・・
そのあと友人含む4人がそれぞれ答えた。
友人は夢と情熱にあふれた回答をした。
1人はまた同じような”シューカツ”らしい答えを言い、
面接官に修正されたあとに自分の持っている秘めた夢を語った。
1人はよくも悪くもない”無難”な回答。
1人は「夢はありません」といった。
面接官が「え?いいの?これで終わるよ?いいの?」という。
すると「じゃあ、ちょっと待ってください。いま考えます。」
といい、そのあとに何か喋ったというが覚えていないという。
面接を終え、帰りのエレベーターの中である一人が言った。
「てかさー、”夢”なんてないよなー。俺、即席でつくったし」
友人は衝撃だった。
彼は”無難”な発言をした学生だった。
発言はそこまで心を揺さぶるようなものでもなく至って普通の内容だったが
このような発言が出たことにショックを受けたという。
結局、その場で本当に夢を語ったのは2人だけだったのだ。
なんとさびしいことだろう。
”夢”をもつのは若いうちの特権、なんていうのに
若いときですら”夢”をもつことを放棄しているなんて。
夢をもつことを強要したいわけではないが
いったい彼らには何が見えているのだろう、と思う。
別に声を大にして言えるような美しい”夢”を持てなんて言いたいわけじゃない。
何が”夢”だって、その人にとって「わくわく」するものなら何でもいいと思う。
アメリカでは「what's your dream?」と話すのが日常だという。
香港では夢なんて語らずに目の前のことにとにかく必死になって取り組むという。
これはどちらも留学していた友達から聞いたことだ。
日本の立ち位置はどこなんだろう?
どちらともつかず、いたって中途半端な場所に立っているような気がしてならない。
夢を追いかけ必死に頑張るのでもなく
目の前のことに無我夢中になるのでもなく
ただ”その日”を楽しくラクに生きる、というような。
もちろんそれは日本国民全体がそうだというのではない。
しかし、かのグループディスカッションの様子が日本の縮図だと考えるなら
日本の未来が危ぶまれるだろう。
同じ”若者”として危惧を抱いたので
備忘録としてここにとどめる。
