なんか、ここのブログのテーマを分類する気が失せる
全部『想ったこと』でいいよ
最近、っていうかさっき自分で作ったルール
『おもう』という単語の変換の仕方について
『思う』と『想う』の二つがある
『思う』は文のどこかに詳しい説明がなされているもの
『~があったので私は~と思った』みたいな
単体では成り立たない
自分が自分に対しての『おもう
』
逆に、『想い』は単体でその存在が成り立つもの
『あなたのことを想う』みたいな
何か対象があるときに使用される
人が人に対して、ってときが多い気がするなぁ
あってるのかはよくわからんが、まぁこういうイメージかな
んで、決めたルールってのは『想う』っていうほうをあえて使っていこう!ということ
いや、多分けっこう使ってんだよね。。。
なんつうのかな、『思う』より『想う』のほうが神聖な感じがするの
それ自体に多くの意味を含ませられる気がすんの
長々と感情を語って、最後に『と思った』ってしめるより
文がスリムに見えるというか
『と想う』って自分の中だけでも使いたいときがあんの
『ここ、大事だぞ!』ってときに
だめかなぁ?
ずるいかなぁ?
全部『想ったこと』でいいよ
最近、っていうかさっき自分で作ったルール
『おもう』という単語の変換の仕方について
『思う』と『想う』の二つがある
『思う』は文のどこかに詳しい説明がなされているもの
『~があったので私は~と思った』みたいな
単体では成り立たない
自分が自分に対しての『おもう
』
逆に、『想い』は単体でその存在が成り立つもの
『あなたのことを想う』みたいな
何か対象があるときに使用される
人が人に対して、ってときが多い気がするなぁ
あってるのかはよくわからんが、まぁこういうイメージかな
んで、決めたルールってのは『想う』っていうほうをあえて使っていこう!ということ
いや、多分けっこう使ってんだよね。。。
なんつうのかな、『思う』より『想う』のほうが神聖な感じがするの
それ自体に多くの意味を含ませられる気がすんの
長々と感情を語って、最後に『と思った』ってしめるより
文がスリムに見えるというか
『と想う』って自分の中だけでも使いたいときがあんの
『ここ、大事だぞ!』ってときに
だめかなぁ?
ずるいかなぁ?