映画を見て完全に感性が感化されてしまった



言葉がまぁ出てくる出てくる





この流れにのって書きたいと思ってたものに手を付けてみたいと思う





「the moon and the sun」のレビューが書きたい



んでもってちと練習をしたいと思ったしだいで





思い起こせば



いつからか



もはやオレの中で音楽は音楽ではなくなっている




男の人が女の人にグッとくるのって



顔だったり


足とかだったり


うなじとかさぁ




そういう体のパーツだったりするじゃん?



でもオレは声なの



だから音楽を聞いてるっていうよりは



女の人の声を聞いてるの





音楽は音楽としてではなく安らぎを求めるためのものになった


耳で聞くものではなく心で聞くものになった




ツライときに慰めてもらったり


元気もらったり




そういう部分を満たしてもらうためのもの





そして安藤裕子は一瞬にして太陽になった




安藤裕子は歌姫ではない


歌自体はそんなに上手くないから





でもオレの中では歌姫だ


声に酔いしれてしまったから





PVの出来は素晴らしい




オレの中でPVとは



「CDのオマケ」みたいなイメージ



曲ができたんで撮影しとくか



っていうどこか投げやりな仕事




曲を魅せるんじゃなくて


歌ってる人を見せるためのオマケ





「サリー」を見てたくさんのことを核心した





この人のPVはまずこなしている仕事の次元が違う



これだけは断言できる



今の日本の音楽界でこんなにPVをがんばってるのは安藤裕子だけだ



自らPVにアートワークとして参加してるんだもの

だれが太刀打ちできるというんだ






だって、まず売れなかったらPV見てもらえないんだよ?


PVがんばんないじゃん




しかも、売れたらPVとかに力いれなくてもいいじゃん?


PVがんばんないじゃん






でも彼女にとってPVは曲の一部とかそういうんじゃなくて


曲とPVとで一つの作品になってる




だからこの人はPVがんばれるんだわ





「サリー」は本当にすごかった


PVがなかったらここまで好きにはならなかった


こんなに可愛く歌ってる人はお世辞ではなく見たことがない


そして、その可愛さには芯がある






自らを反映させるから曲に核があって


自らがPVに携わるから曲に深みがあって





それが繰り返される





そういう素晴しい循環があるこのDVD


買って良かった



っていうかオレは買って当然だ





「忘れものの森」のPVとか



作らないはずだったのに作ったっていうだけあって良質すぎる



曲に対する彼女のイメージとオレのイメージにズレがあるのが手にとるようにわかった



曲の意味に少し近づけた





こういうことを伝えることができる映像





いつも安藤裕子は



「I Love yooooooou」っていう文字をキレイな色とタッチで描く



この言葉をいつも聞いている人たちに投げかけてくれる



投げかけてもらってばかりでは申し訳ない



絶対に返さなければならない



ファンとして



絶対に返していこうと思う





何度でも声を聞くし



ライブにも行こうと思う




オレは見たいと思うし


やってる本人は見て欲しいと思ってるはずだから




絶対に返していく