突然思い立って、近所にあったお寺に
『禅』をやりたいので、しばらく泊めて欲しいと直談判しに行き、1週間だったか10日だったか、お寺に泊まり込んで『禅』なるものをしたことがあります。
なぜ突然思い立ったのかといえば
10代最後の自分探し(笑)みたいな
『インド人もびっくり‼久美さん~』ではありませんが(笑)
自分探しの旅がしたかったんだと思います。
そこでは、住職の妹さんの(尼さん)作る精進料理の手伝いをしたり、住職の真似をしてお経をよんだり、掃除をしたり、禅をしたりして自分の内側に飽きるまで向き合いました。
夜になって一人で仏像のある部屋に寝る時以外は楽しい時間でした(ToT)
その時私が学んだことは2つありますが
そのうちのひとつは
環境があれば簡単に出来ることも
自分一人ではなかなか出来ないということです。そして環境が整わない処で自分一人でも出来てこそ、はじめてその行いが意味を持つということです。
今、自分が居るところで自分の望むことをすることが大切だと学びました。
『禅』もそうです。
一人でもしたければ続ける。
その後、お寺から帰ってからは『禅』から遠のいていましたが、7年前に走り始めてからは、走りながら無になる瞬間があり、これは『禅』と一緒の効果があると思うようになりました。私の居場所で出来る『禅』です。
『心を清めたい時には走る』
『走る禅』いい感じです(*^^*)
もうひとつは
人の話は聴いてみなければ分からないという住職の教え。
どんな人にも365日✖24h✖年齢分の言葉が詰まっているから、それを本当に聴けたら必ず素晴らしい言葉に出会うということ。
人の人生に出会うということ。
この言葉は、私にいつか人の話を聴きたいなぁという漠然としたエネルギーになっていて、今の応援マッピングに繋がっています(* ´ ▽ ` *)
