5月5日の土曜日、フランクフルトの北へ車で約1時間ほどにある街、『Weilburg』へ行ってきました
だんな様の会社の同僚のドイツ人女性Cさんが住んでおられる、小さいけれどとても素敵な街
彼女は、日本語がとてもお上手です
普段も、休みの日などには、訪れた人たちを相手にWeilburgのガイドをされているそうなのですが、このたび、日本語でのガイドツアーを開催してくださいました
「日本語でのガイドは初めてなので・・・」と謙遜されていましたが、日本語の原稿をきちんとご自分で作成されていて、ものすごくわかりやすく、興味深く街歩きを楽しませていただきました
本当にありがとうございました
車をとめて、まずは高台へ。そこで、街の歴史などについて、まずはちょっとした講義が
Cさんの息子さん、Jくんが、可愛いアシスタントとして大活躍
彼は、とってもフレンドリーで明るい、ナイスボーイです

彼が掲げてくれているのは、Weilburgの上空写真。Lahn川にぐるりと囲まれた、とても美しい城下町なのが、わかっていただけるのではと。「自動車と、鉄道と、船の3種類のトンネルが、とても近い間隔で存在してることが珍しい」特徴なのですって。
少し歩いて、展望台のようになってる公園スペースへ。街を、川が取り巻いていることが実感できちゃいますね~。
ここに、一人の笛吹き男性の銅像が。
彼は、街の安全を守るための監視役だった人ですが、非常に音楽の才能に恵まれており、それで音楽家として一財産築くことができた人だそうです(兄弟だった、と伺ったように思います)。後から、彼がお金持ちになって、建てて住んでいた塔を見れますよ、とのこと
さて、このあと、坂を下って、城門へ。
この城門は、この地方で採れる「Lahn marble」という、所々に白い筋が入っている大理石で出来ています!この城門は、磨いてない石ですが、磨いて光っているものも、あとで見れますよ~、とのことでした
城門の外は、ロータリーになっていて、城門と、背景のお城が見えてとてもいい感じです
この上の写真でみた左手のところに、このような柱が、、、上は王冠
柱には、「KÖNIG CONRAD Ⅰ」「WEILBURGER TESTAMENT 918」と書いてあります。訳すと、「コンラートⅠ世王」「ヴァイルブルクの遺言918年」
・・・なんだろ
と思った私、写真を撮って帰って、ちょっとWeb検索などかけてみました、、、すると、歴史教室2回目で習った内容と関係があることがわかったぞ
ちょっと自分なりにWeb情報と歴史教室メモをまとめてました~
神聖ローマ帝国のおおもとは、ざっくり言うとフランク王国が東のドイツと西のフランスに別れた、東フランク王国です。カロリング王朝が911年に途絶え、フランケンの大公、コンラディン家の『コンラートⅠ世』(若王)が、東フランク王国の有力諸侯に推されて東フランク王国の王になりました
しかし内外での争いが収まらず、このフランケン朝は1代限りで終わったのですが。このコンラートⅠ世は、『Weilburgで918年に』亡くなったようです。そして、コンラートⅠ世は、死の床で、彼の弟に、『遺言』を残します。対立していたザクセン公のハインリヒに王の印を託す、と。コンラートの弟が、ハインリヒに会いに行った場所が、ユネスコ世界遺産に登録されている街Quedlinburgで、この街でハインリヒが東フランク王になることを受け、ここからザクセン王朝が始まったため、Quedlinburgが「ドイツ史が始まった街」とされています
この出来事が、「Weilburger Testament」として知られている、ということでした
それを記念した柱なのでしょうね。ああ、スッキリ
そして、こんなこと習ったなぁって復習できて良かった~
さて、城門の外に出て、向かった先は、古い墓地です。
ここに、古い彫刻があるのを紹介していただきました。鍵のかかる柵に囲まれて、大事に保管されています。

中央は、イエス・キリスト。両側が、ゴルゴダの丘でイエスと同時に処刑された罪人です。左側の罪人は、イエスへの帰依を口にしたため、天国へ、右側の罪人はイエスを信じることなく罵ったため、地獄へといきました。「キリストの磔」のシーンを描いた絵画や彫刻に、これらを表す表現としてよく登場するように、この彫刻でも左の罪人の頭上には天使が、右の罪人の頭上には悪魔がいることを説明いただきました
聖母マリア(手前)と聖ヨセフ(奥)が十字架の足元にいます。
墓所を後にして、川の方に降りていきます。説明のあった「3種のトンネル」のうち、最も珍しい川のトンネル。高台になっている街側から、外の川に向かって続く水路ですが、高低差があるため、3つの水門で仕切られています。外に行くときにはひとつ手前の区間で、外の部分と水位を合わせてから、水門を開いて出ていく、という行程を繰り返す必要があるのです。
トンネルを抜けて一つ目の水門を通って、ちょうどカヌーの一団が。

外に行くために、次の水門の手前で待機。この前方の水門の、水面下にある小窓を開いて水を出し、この部分の水位を下げてから、門を開いて向こうに行くわけです。
水門を上記写真の反対側から見たらこうなってます。ハンドルを回すと、下方の小窓が開いて、水が放出されているのがわかります
この放水で、門の前後の水位が同じになったら、水門を開いてカヌーが通過する、ということです
ちょうど、カヌーが通るところを見れてよかった
続いては、再び城門の中に戻り、マルクト広場へ。
噴水を前に、昔の市庁舎が建っています。
この市庁舎は、教会と一体となって建てられています。これは、16-18世紀において、君主が絶対的な権力をもって支配する専制的な政治形態であった『絶対主義』の時代に作られたことを示しています。この時代、君主であった伯爵と、神が同格に列せられていたということだそう。
Weilburgのお城と街を今残るように美しく造った君主、『Johann Ernst伯爵』の胸像です。
教会の中に入ってみました。とても面白い構造になっています。入口左側に説教檀。磨いた大理石が使ってありますね

右側に、伯爵が礼拝に出席する座があります(ガラス窓の向こうだそうです)

説教檀よりも、伯爵の座の方が高い位置にある、ということは、司教よりも伯爵の方が地位が上であることを示すものだそう
面白いですね~
そして、一般の人々が座る席は、この説教檀と伯爵の座の間を空間として、その空間を挟んで向かい合わせに作られています。つまり、真ん中の空間に向かって、伯爵の座、説教檀、一般の人々の座席が取り巻くような形になっている
普通、一般の人々は、お説教を聞くために説教檀に向かって座りますよね
このような形になっているのは、伯爵が、座っている人々の顔を見たかったからだそう
何でもありですね~、絶対主義・・・。この教会は、音響も素晴らしくて、よくコンサートなどが開かれるそうです。一度、聴いてみたいですね
そして、説教檀の前の部分、、、カーペットの下には地下への入口が
伯爵家の墓所になっているそうです。
そして、この伯爵家の墓所部分は、ルクセンブルク領なのですって
ここに、小さなルクセンブルクがあるなんて
年に一回、ルクセンブルク大公が、Weilburgにおいでになるそうですよ。
さて、続いては、お城の方を見に行きました
中庭に入りますと、向かって右側にはWeilburgの紋章のモチーフであるライオンが噴水になって置いてあります。
左側の建物の様子
そして入ってきた側には高い塔が
この塔こそ、最初の方に載せた、音楽家兄弟が住んでいた場所だそうです。
そして、正面側に鉄のバルコニーのある時計台。
このバルコニーについている飾りの横に、ライオンがいますが、このライオンの周りには文字が隠されているんです
わかりますか~

わかりやすく彩色してみました
Cさんも、写真を撮ったものに色をつけて、わかるように資料にして見せてくれたので真似っこです
「Johann Ernst Graff Zu Nassau-Weilburg(ナッサウ-バイルブルクのヨハンエアンスト伯爵)」の頭文字ですって
(なぜJがIなんだろ
っていうのは、実はよくわからないけど、、、
)
中庭を出て、庭園へ
この庭園が、本当に美しいのです
庭園から、街を取り巻く川と、その向こうにある街などが見え、景色も良い

奥に、菩提樹が綺麗に並べて植えてある場所があります。
ドイツでは、菩提樹は自由の象徴だそう。
このような庭園もちょっと下段にあります。最初に行った大理石の城門の前のロータリー、あそこから見上げる塀部分がこの庭です
このあと、ワインショップに連れていっていただいて、7種類の試飲を、おつまみをいただきながら楽しみました
私は、だんな様が飲むのを、「舐める」だけで味だけ確認、でしたけど
我が家はワインを3本と、さらに近くのワインケラーの造ったシナプスを1本、購入して帰りました
楽しいツアーガイドをありがとうございました
これだけの情報を、きちんと日本語で自分で書いておられるCさん、すごいです
原稿、普通の日本人が書いた並み(いや、それ以上?)に、漢字がいっぱい使って書いてありました、、、。漢字大好き、趣味だそうです
私も、もうちょっとだけ、ドイツ語がんばろうかなぁ、、、
本当に楽しい土曜日を過ごさせていただきました
だんな様の会社の同僚のドイツ人女性Cさんが住んでおられる、小さいけれどとても素敵な街
彼女は、日本語がとてもお上手です
普段も、休みの日などには、訪れた人たちを相手にWeilburgのガイドをされているそうなのですが、このたび、日本語でのガイドツアーを開催してくださいました
「日本語でのガイドは初めてなので・・・」と謙遜されていましたが、日本語の原稿をきちんとご自分で作成されていて、ものすごくわかりやすく、興味深く街歩きを楽しませていただきました
本当にありがとうございました
車をとめて、まずは高台へ。そこで、街の歴史などについて、まずはちょっとした講義が
Cさんの息子さん、Jくんが、可愛いアシスタントとして大活躍
彼は、とってもフレンドリーで明るい、ナイスボーイです

彼が掲げてくれているのは、Weilburgの上空写真。Lahn川にぐるりと囲まれた、とても美しい城下町なのが、わかっていただけるのではと。「自動車と、鉄道と、船の3種類のトンネルが、とても近い間隔で存在してることが珍しい」特徴なのですって。
少し歩いて、展望台のようになってる公園スペースへ。街を、川が取り巻いていることが実感できちゃいますね~。
ここに、一人の笛吹き男性の銅像が。
彼は、街の安全を守るための監視役だった人ですが、非常に音楽の才能に恵まれており、それで音楽家として一財産築くことができた人だそうです(兄弟だった、と伺ったように思います)。後から、彼がお金持ちになって、建てて住んでいた塔を見れますよ、とのこと
さて、このあと、坂を下って、城門へ。
この城門は、この地方で採れる「Lahn marble」という、所々に白い筋が入っている大理石で出来ています!この城門は、磨いてない石ですが、磨いて光っているものも、あとで見れますよ~、とのことでした
城門の外は、ロータリーになっていて、城門と、背景のお城が見えてとてもいい感じです

この上の写真でみた左手のところに、このような柱が、、、上は王冠
柱には、「KÖNIG CONRAD Ⅰ」「WEILBURGER TESTAMENT 918」と書いてあります。訳すと、「コンラートⅠ世王」「ヴァイルブルクの遺言918年」
・・・なんだろ

と思った私、写真を撮って帰って、ちょっとWeb検索などかけてみました、、、すると、歴史教室2回目で習った内容と関係があることがわかったぞ
ちょっと自分なりにWeb情報と歴史教室メモをまとめてました~

神聖ローマ帝国のおおもとは、ざっくり言うとフランク王国が東のドイツと西のフランスに別れた、東フランク王国です。カロリング王朝が911年に途絶え、フランケンの大公、コンラディン家の『コンラートⅠ世』(若王)が、東フランク王国の有力諸侯に推されて東フランク王国の王になりました
しかし内外での争いが収まらず、このフランケン朝は1代限りで終わったのですが。このコンラートⅠ世は、『Weilburgで918年に』亡くなったようです。そして、コンラートⅠ世は、死の床で、彼の弟に、『遺言』を残します。対立していたザクセン公のハインリヒに王の印を託す、と。コンラートの弟が、ハインリヒに会いに行った場所が、ユネスコ世界遺産に登録されている街Quedlinburgで、この街でハインリヒが東フランク王になることを受け、ここからザクセン王朝が始まったため、Quedlinburgが「ドイツ史が始まった街」とされています
この出来事が、「Weilburger Testament」として知られている、ということでした
それを記念した柱なのでしょうね。ああ、スッキリ
そして、こんなこと習ったなぁって復習できて良かった~
さて、城門の外に出て、向かった先は、古い墓地です。
ここに、古い彫刻があるのを紹介していただきました。鍵のかかる柵に囲まれて、大事に保管されています。

中央は、イエス・キリスト。両側が、ゴルゴダの丘でイエスと同時に処刑された罪人です。左側の罪人は、イエスへの帰依を口にしたため、天国へ、右側の罪人はイエスを信じることなく罵ったため、地獄へといきました。「キリストの磔」のシーンを描いた絵画や彫刻に、これらを表す表現としてよく登場するように、この彫刻でも左の罪人の頭上には天使が、右の罪人の頭上には悪魔がいることを説明いただきました
聖母マリア(手前)と聖ヨセフ(奥)が十字架の足元にいます。墓所を後にして、川の方に降りていきます。説明のあった「3種のトンネル」のうち、最も珍しい川のトンネル。高台になっている街側から、外の川に向かって続く水路ですが、高低差があるため、3つの水門で仕切られています。外に行くときにはひとつ手前の区間で、外の部分と水位を合わせてから、水門を開いて出ていく、という行程を繰り返す必要があるのです。
トンネルを抜けて一つ目の水門を通って、ちょうどカヌーの一団が。

外に行くために、次の水門の手前で待機。この前方の水門の、水面下にある小窓を開いて水を出し、この部分の水位を下げてから、門を開いて向こうに行くわけです。
水門を上記写真の反対側から見たらこうなってます。ハンドルを回すと、下方の小窓が開いて、水が放出されているのがわかります
この放水で、門の前後の水位が同じになったら、水門を開いてカヌーが通過する、ということです
ちょうど、カヌーが通るところを見れてよかった
続いては、再び城門の中に戻り、マルクト広場へ。
噴水を前に、昔の市庁舎が建っています。
この市庁舎は、教会と一体となって建てられています。これは、16-18世紀において、君主が絶対的な権力をもって支配する専制的な政治形態であった『絶対主義』の時代に作られたことを示しています。この時代、君主であった伯爵と、神が同格に列せられていたということだそう。
Weilburgのお城と街を今残るように美しく造った君主、『Johann Ernst伯爵』の胸像です。
教会の中に入ってみました。とても面白い構造になっています。入口左側に説教檀。磨いた大理石が使ってありますね

右側に、伯爵が礼拝に出席する座があります(ガラス窓の向こうだそうです)

説教檀よりも、伯爵の座の方が高い位置にある、ということは、司教よりも伯爵の方が地位が上であることを示すものだそう
面白いですね~
そして、一般の人々が座る席は、この説教檀と伯爵の座の間を空間として、その空間を挟んで向かい合わせに作られています。つまり、真ん中の空間に向かって、伯爵の座、説教檀、一般の人々の座席が取り巻くような形になっている
普通、一般の人々は、お説教を聞くために説教檀に向かって座りますよね
このような形になっているのは、伯爵が、座っている人々の顔を見たかったからだそう
何でもありですね~、絶対主義・・・。この教会は、音響も素晴らしくて、よくコンサートなどが開かれるそうです。一度、聴いてみたいですね
そして、説教檀の前の部分、、、カーペットの下には地下への入口が
伯爵家の墓所になっているそうです。
そして、この伯爵家の墓所部分は、ルクセンブルク領なのですって
ここに、小さなルクセンブルクがあるなんて
年に一回、ルクセンブルク大公が、Weilburgにおいでになるそうですよ。さて、続いては、お城の方を見に行きました
中庭に入りますと、向かって右側にはWeilburgの紋章のモチーフであるライオンが噴水になって置いてあります。
左側の建物の様子
そして入ってきた側には高い塔が
この塔こそ、最初の方に載せた、音楽家兄弟が住んでいた場所だそうです。
そして、正面側に鉄のバルコニーのある時計台。
このバルコニーについている飾りの横に、ライオンがいますが、このライオンの周りには文字が隠されているんです
わかりますか~

わかりやすく彩色してみました
Cさんも、写真を撮ったものに色をつけて、わかるように資料にして見せてくれたので真似っこです
「Johann Ernst Graff Zu Nassau-Weilburg(ナッサウ-バイルブルクのヨハンエアンスト伯爵)」の頭文字ですって
(なぜJがIなんだろ
っていうのは、実はよくわからないけど、、、
)
中庭を出て、庭園へ
この庭園が、本当に美しいのです
庭園から、街を取り巻く川と、その向こうにある街などが見え、景色も良い

奥に、菩提樹が綺麗に並べて植えてある場所があります。
ドイツでは、菩提樹は自由の象徴だそう。
このような庭園もちょっと下段にあります。最初に行った大理石の城門の前のロータリー、あそこから見上げる塀部分がこの庭です
このあと、ワインショップに連れていっていただいて、7種類の試飲を、おつまみをいただきながら楽しみました
私は、だんな様が飲むのを、「舐める」だけで味だけ確認、でしたけど
我が家はワインを3本と、さらに近くのワインケラーの造ったシナプスを1本、購入して帰りました
楽しいツアーガイドをありがとうございました
これだけの情報を、きちんと日本語で自分で書いておられるCさん、すごいです
原稿、普通の日本人が書いた並み(いや、それ以上?)に、漢字がいっぱい使って書いてありました、、、。漢字大好き、趣味だそうです
私も、もうちょっとだけ、ドイツ語がんばろうかなぁ、、、
本当に楽しい土曜日を過ごさせていただきました