月曜日の午前中、歴史教室の課外授業で、フランクフルトのDOMに行ってきましたニコニコ DOMは、中に入ってみたこともあるけれども、先生の説明つきで見学すると、やっぱり満足度が違いましたね音譜今回、家にある『ドイツ世界遺産と歴史の旅』という本を読みつつ、ドイツの歴史を復習しながらブログを書いてますが、この本、これまで単に読んでもさっぱり頭に入らなかったんですけど・・・歴史教室の授業や課外授業を受けて、改めて読むと、先生の説明を聞いただけでは不明瞭であったり、理解が不十分であったりした部分を補完してくれたりして、なかなか、有益です。うーむ、意外に役に立つ。


さて、レーマー広場で待ち合わせて、そこでも見るべきものの説明が。

ナチスドイツの焚書(ナチスの思想に合わない書籍を焼いた史実)が、フランクフルトではこのレーマー広場で行われたため、そのことを記録するために、レーマー広場の地面に残されたもの。負の歴史が、こうして語り継がれているんですね。
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さて、DOMの正面には遺跡風のお庭のようなものが、、、ここはかつてのローマ軍駐屯地跡で、「考古学の庭」と呼ばれています。正面から眺めるDOMは、ゴシック建築様式の高い塔をもち、美しいです。このDOM、カール大帝の息子、ルードヴィヒ敬虔王の時代(9世紀)に、バジリカ式教会として建てられたものがもとになっています。そこを、何度も建て増ししていく形で、ロマネスク様式の教会から、最終的に1500年頃ゴシック様式の建築物となったそうです。この塔の高さは、94m75cm、この時代のフランクフルトで最も高い建物だったということで、時計のある場所付近は住居となっており、消防の人が住んで火の見櫓としての役割を果たしていたとのこと、面白いですね。
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ところで、DOM(大聖堂)という呼び名は、本来は司教区に指定された街にある、司教座(司教の座る椅子)のある聖堂にのみ適用される呼び名なのですが、フランクフルトは司教区ではありません。それが、なぜ、DOMと呼ばれているかというと、皇帝の戴冠式が行われる教会であるため、通称として「カイザードーム(皇帝の大聖堂)」と呼ばれるようになったそうです。正式名称は、「聖バルトロメオ教会」で、「聖遺物」として、12使徒の一人、聖バルトロメオの頭蓋骨が納められているということ。上述の本によると、13世紀にこの頭蓋骨がフランクフルトにもたらされ、1239年からこの教会の守護聖人として崇拝されているそうです。


さて、続いては、正面からみてDOMの左側面にある扉の前へ。DOMにおける最も重要な扉として先生がご紹介になりました。マクシミリアンⅡ世の時から、皇帝の戴冠式がこのカイザードームにて行われることになり、この扉から戴冠式に臨む王だけが入っていったそうです。現在でも、普段は閉じてありますが、演奏会などの入場などに使われたりしているそうです。

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この扉の、上の彫刻とバラ窓について。

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バラ窓の花弁の枚数は「8」、神の永遠性を表す数字です。そして、三つ葉のや四つ葉のクローバーを思わせる模様が組み込まれていますが、この数も「三位一体」や「4つの福音書(ヨハネ、マタイ、マルコ、ルカ」を表す数として、教会建築の中で意味を持って使用される数です。教会建築の基になる数は、なんらかの意味付けがなされたものが使用されていて、例えば教会の大きさを決める単位は、建築の責任者の肘から指先までの長さを「エレ」という単位とし、使徒の数12×12=144エレと決めて建てられていたそうです。

彫刻は、キリストを中心として、両脇に12使徒が6名ずつ。さらに、その外側にもう1名ずつ配置されています。このお二人は、一番左が、聖バルトロメオ、一番右がカール大帝なんだそうです。バルトロメオは、この教会の守護聖人ですが、カール大帝も、神聖ローマ皇帝として聖人になったわずか2名のうちの1名であり、この教会に肋骨が聖遺物として納められているそうです。つまり、両側の2名が、この教会に聖遺物が納められている聖人であることを示しているそうで、バルトロメオ像はこの中に2体あるってことですね。


そして扉の部分。旧約聖書の場面が描かれています。アダムの誕生、ノアの神への捧げもの、アブラハムとイザク、モーゼの十戒など。
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ここまでで、このペースで記録すると、すごい量になるのと疲れてきた。内部の説明は、かなり端折っちゃおう。


入口から入ってすぐの、ゴルゴダの丘で磔になるイエスの彫刻は、マインツ出身のハンスバクオーフェン作(1509年)。この頃の作品は、実際に題材となった場面の時代の表現だけでなく、一部に製作の時代を表現するものが入っているとのこと。この作品では、イエスと一緒に磔になった二人の囚人のうち、「あなたは神の子です」と言った左の囚人ではなく、イエスを認めなかった右の囚人を、この時代に略奪や強姦を行う最も残酷で罪深いとされた傭兵の服装にしているのだそうです。


ドーム内の床には、680年に最初に建てられた、貴族の女の子が祀られた教会の敷地跡が描かれており、それから建増しされていった状況も同じように床に記されています。後ろの壁にも、どの時代にどういう形をしていたかの図解がかけてありました。


奥の小さな祭壇の横にある小さな塔(写真右、ちょっとボケちゃった、、、)の中に、「聖遺物」であるバルトロメオの頭蓋骨が収められた銅の箱があり、これは毎週日曜日にだけ開かれて中が公開されているそうです。

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このDOMで起こった2つの事件を描いているフレスコ画。

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左は、赤いマントのオットーⅠ世に、941年のクリスマスの日に、懺悔の衣を着た弟のバイエルン公ハインリッヒが許しを請う場面。ハインリッヒは、王の座を狙ってクーデター未遂を起こし、一度は許されたのにも関わらず、再び暗殺計画を企てて、地位を剥奪されそうになった。そこでクリスマスの日にフランクフルトのDOMを訪れたオットーの元に許しを請いに来たそうです。皇帝や教皇は、クリスマスの日には寛大な心を持って、謝罪を受け入れなくてはならないしきたりであったため、オットーⅠ世はやむなく許したとのこと。

右は、シュタウファー王朝時代(1147年)、クルニュー派の修道士であったベアンハードのもとに、彼を崇拝し彼に触れてその徳を得ようとした民衆が押し寄せたため、それを守ろうとするコンラッドⅢ世が描かれています。ベアンハードは、第二次十字軍遠征を行うように、各地で説いてまわった人だそうです。

このフレスコ画の前の空間に、第二次世界大戦の時に爆弾が落ち、そこから火が燃え広がったそうです。


続いては、「選挙のチャペル」

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石棺の横の小さな扉の奥の、小さな部屋のチャペルで、1438年以降、7名の選帝候により皇帝の選挙が行われてきた。室内は撮影できなかったが、床の敷石に神聖ローマ皇帝の象徴、ワシの紋章が描かれている。


唯一、戦禍を逃れたゴシック建築がオリジナルで残っている「マリア永眠の祭壇」

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聖遺物など、重要なものは大戦中にはタウナスの山中に疎開させて守っていたが、この祭壇は持ち運べるものではなかった。そこで、漆喰で完全に塗り固めて覆っていたので、空爆による火災から守ることができた。

マリアの顔の周りに、3体の小さな天使がいる。「神の声を聞く」聖なる場所、耳から魂が出てくると考えられており、それを待ち受けている。上方の小さな額のなかには、天使に連れられ神のもとに召されたマリアの姿が描かれている。


フランクフルトに亡命し、1688-1691年の間過ごしてなくなった、ファルツにあるボルムスの司教の像。ルイ14世が、奥方の出身地であるファルツを得るために仕掛けたファルツ継承戦争から逃れて来た。彼は、「フランケンシュタイン伯爵」である。
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他にも、ここに載せていない写真があって、それぞれに説明など受けたのですが。全部載せるのは大変なので、このくらいにしときます。


自分でDOMを見るなら、ざ~っと1周して、「ふーむ」と思って終わり、なんでしょうけど、色んな説明を受けながら見ると、本当に充実しますねニコニコ誰かがフランクフルトに遊びに来た際には、DOMの説明が少ししてあげられるような気がします音譜