本日は、歴史教室の遠足で、フランクフルトから電車電車で30分くらいの街、「ゲルンハウゼン」に行ってきましたニコニコ


この街は、シュタウファー王朝のババロッサ皇帝が、皇帝直轄の帝国都市に指定した街で、皇帝が年に数ヶ月暮らすための宮殿のあった場所。平地にある王の住居が宮殿(パラティウム(Palatium))で、山の上にあるのがお城(カステッルム (castellum))なんだって。いずれもラテン語で、palaceとcastelの語源です。街を囲む街壁が残っており、その入口となる門塔には、ワシのマークが。皇帝直轄の帝国都市であったところは、このようにワシのマークを門の所に掲げているそうです。フランクフルトも、かなり後期まで帝国都市であったため、フランクフルトの市のマークにはワシが使われているそうです。


そして、魔女の塔も、城壁のそばに残っていました。魔女裁判の時代、魔女の疑いをかけられた女性を閉じ込めておく塔。丸くて、窓が高い所にしかなく、上部は先端が円錐形にとがっています。城壁のある街などに行って、付近にこのような建物があれば、それは魔女の塔。。。ガーン


神聖ローマ帝国では、皇帝が領地内を移動しながら、自分が皇帝であることを知らしめ統治を行う「馬上からの政治」が行われており、そのために帝国内に多くの皇帝の住居があるわけです。しかし、カロリング王朝時代には、同じく馬上からの政治でしたが宮殿やお城は必要ではありませんでした。皇帝は、教会との結びつきが強かったその時代には、各地の修道院に宿泊していたためです。しかし、ザーリア王朝のハインリッヒ4世が「カノッサの屈辱」のきっかけになる叙任権闘争で「破門」を受ける状況になった時に、教会との結びつきが弱くなり、受け入れてもらえなくなったため、統治のための移動に宮殿やお城が必要になり、各地に建てられるようになったそうです。


宮殿跡の外観(外壁部)
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石を切り出して、積み上げて作られています。建築に石工師が活躍する時代ですが、この石工師は日雇いで、仕事を求めて建設現場を転々としながら生活をしていたとのこと。積み上げられた石には、各石工師が自分の仕事であること、また石と石の組み合わせの目印として、「自分の印」を刻んでいます。教えてもらわなくては、気付かなかったと思いますが、中に入って、建物や外壁などの石をよく見ると、至るところにいろんな「印」が刻んでありました。こういった知識を持って眺めるのと、そうでないのとでは、見えるものが違いますねぇえっロマネスクとゴシックの時代には、このような印がいろんな建築物に残っているとのこと、次からはいろんな所に行ったら、探してしまうでしょうねひらめき電球この宮殿は、ロマネスク様式で、残った建物の一部でもその特徴もしっかりと見て取れました。丸い柱の上部の天井につながるところは四角くなっている、アーチ型の窓が連なっている、など。習ったことを、目で見れる、って面白いですよね音譜


ところで皇帝の住居は、どのような条件の場所に建てられるのか??

①肥沃な土地→皇帝家族や臣下、そして帝国会議に集まってくる諸侯達の食料が十分に確保できるところでないといけない。

②交通の要所→移動するので、当然かと。ゲルンハウゼンは、山(森)の間に挟まれた谷間にできた街。東のライプチヒからの物流は、ゲルンハウゼンまではずっと馬車で山を超えてやってきて、ゲルンハウゼンでようやく、キーニヒ川から船に載せられます。キーニヒ川からマイン川に、そしてライン川へとつながって行くのです。街の道や広場などは、当時のものがそのまま受け継がれてきていますが、下の写真は、ライプチヒからケーニヒ川に至るこの馬車道が最も細くなった場所に掲示されていたもの。


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上の壁のペイントの下にウインドウがあって、ライプチヒからゲルンハウゼンに至る地図が。ちょっと地名について文字を追記しました。
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そしてその道
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皇帝の住居の条件、最後の一つ。

③皇帝本人の好み→ババロッサ皇帝にとって、ゲルンハウゼンは20歳くらいの時に初恋恋の矢をした場所だそうです。彼がまだシュアーベン侯だった時代、この街の近くの城主の娘と恋に落ち、結婚の約束を交わしたとのこと。残念ながら、第二次十字軍遠征に彼が行った際、彼はなくなったという噂が届き、悲嘆した彼女は修道女になったとか。戻ったババロッサと、彼女は結婚したという説と、修道女は還俗できないため別れたという2説が残っているそうです。彼らの恋人時代の逢瀬の場所、9世紀のバジリカ式教会が市外壁のすぐ外側に残っていて、教会内には2人の伝説の結ばれた説を採用し、こじんまりとした、可愛らしい婚礼の準備が整えられた部屋があります。ガラス窓からそこを覗いてみることができます。この伝説により、この古い小さな教会で結婚式を挙げるカップルもいるそうです。


こじんまりとした、バジリカ式(本堂部分しかない)教会の外観
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ゲルンハウゼンは、小さな街であったため、第二次世界大戦の戦禍を免れ、古い街並みが残っています。ロマネスクやゴシックの時代の家々が残り、街中の小道を歩くと、石畳の道に面した家々やお店がとても可愛らしいです。建物の外観も素敵なのですが、それに合わせて、とても綺麗にお花が飾られていたり(鉢植えとか)、看板などもすごく素敵なの。


上(Ober)と下(Unter)二つの広場を持っている街ですが、これは下のマルクトに面した建物の写真。雰囲気ありますよね。

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上の写真の、奥側に尖塔だけが写っているのが、ゴシック式のマリア教会。こちらも、見学させていただきました。入り口の扉のところなどはアーチ型で上部が丸く、ロマネスク様式ですが、内部はゴシック様式の特徴である尖った形になっており、後期ロマネスクからゴシックへの変遷期の教会であることがわかります。祭壇の上部の彫刻は、最後の審判をあらわしていることが、わかりました(授業で習ったことが、実際に物で見れる、ってワクワクしますね音譜)。面白かったのが、甦り天国に行く人たちと対照に、悪魔に鎖で繋がれて地獄へ連れていかれる人々が彫られていますが、その人たちは、王や貴族、聖職者たちの姿でした。風刺というか、、、富める者たちが天国の扉を開くのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい、というキリストの言葉にあるように、人々の本音があらわれているのです、と先生が説明くださいました。


このように、ゲルンハウゼンの遠足は、これまで習ったことを、盛りだくさんに自分の目で見ることができる、とても楽しいものでした音譜やっぱり、知的好奇心の満足というのは、よいガイドが居てくだされば、全く違ってきますね。