アメリカンフットボールとは、フットボール の一種であり、楕円形のボール を用いて、2つのチームで得点を競い合うスポーツ (球技 )である。
ゲームの目的は、ボールを相手陣内のエンドゾーンに向けて前進させ、得点することである。ボールを前進させるには、主にボールを持って走る方法(ランプレー )と、味方にパスを投げる方法(パスプレー )がある。得点を得るには、主にボールを持ってゴールラインを通過する、エンドゾーン内でパスを捕球するほか、キックしたボールをゴールポスト上に通過させるなどの方法がある。試合終了時に得点の多いチームの勝ちとなる。
アメリカ およびカナダ で単にfootballというときは、アメリカンフットボールのことを指す場合がほとんどである(ただしカナダでの場合はカナディアンフットボール を含む)。他の国では、American footballという呼び方のほか、オーストラリアでは主にgridiron football(「gridiron」とは焼き網という意。フィールドのラインがそのように見えることから)とも呼ばれている。日本 では、一般的にアメフトと略される。また以前はアメラグ(アメリカンラグビー の略)とも呼ばれた。日本語表記では、アメリカンフットボールを直訳した米式蹴球、または、鎧(よろい)を髣髴させる装備をしていることから鎧球(がいきゅう)と表記される
他のスポーツとの類似点・相違点
アメリカンフットボールは、楕円形のボールを使う、タックルにより相手の前進を止めるなど、ラグビー と共通するイメージを持ち、実際に混同される原因ともなっている。ルール上では、攻守交替制である点、前方へのパスが認められている点が、ラグビーとの最大の違いである。その他の主な特徴については、他のスポーツとの比較と併せて下記に示す。
なお、具体的なルールについては、試合とルール の項で詳述する。
- 2チームがそれぞれ、ボールを確保する攻撃側(オフェンス)と、守備側(ディフェンス)に分かれ、攻守を交代しながらゲームが進行する。特殊な場合を除き、得点する機会は攻撃側だけにある。
- 基本的にすべてのプレーがセットプレーであり、両チームが向かい合った静止状態からひとつのプレーが始まり、タックルなどによりボールの前進が止 まったときに当該プレーが終了する。1プレイはだいたい10秒以内で終了し、また仕切り直して次のプレーを開始する。このような短いプレーの積み重ねによ りゲームが進行する。
- 自由交替制を採用しており、一度交替した選手が再びプレーに参加することができる。このことから、選手はポジションごとに明確な役割があり、ポジションに応じたパワー、スピード 、スタミナ 、捕球力などが要求される。
- 各プレーの結果により、試合時間の計測(時計)がそのまま進行する・停止されるパターンが明確にされている。よって、特に試合終盤において時間進行が勝負の行方を左右する重要な要素となることから時計と勝負するスポーツとも言われた。
- タックルやブロックなど、激しいコンタクト が多い。このため、選手はヘルメット やプロテクターなどの防具 を装備することが義務づけられている。
- ビデオ判定 の導入が比較的容易であり、NFLなどでは判定に不服がある場合、コーチ(監督)が審判団にビデオ判定を求めることができる。これをチャレンジ という。但し、日本の高校、大学、社会人リーグでは現在、チャレンジシステムは採用されていない。
人気
プロリーグであるNFL (ナショナルフットボールリーグ)は、メジャーリーグベースボール (野球)やNBA (バスケットボール)などを凌ぎ、アメリカで最も人気のあるプロスポーツリーグである。
NFL王座決定戦であるスーパーボウル は全米歴代TV視聴率ベスト10の半数以上を占め、カレッジフットボール の全米王座決定戦も、メジャーリーグのワールドシリーズ やNBAファイナル の視聴率を上回ることがほとんどである。
アメリカ大手世論調査 会社のギャラップ によると、一番人気スポーツは圧倒的にアメリカンフットボール(41%)であり、2位が野球(10%)、3位がバスケットボール(9%)である[1] 。事実上、アメリカ合衆国で最も広範にわたる人気を持つスポーツであると言うことができ、いわゆるジョック の象徴たるスポーツでもある。
一方、日本では知名度は低く、ラグビーと混同している人も多いのが現状であるが、スーパーボウルをはじめとしたNFLの主要ゲームや、国内でも学生・社会人のチャンピオンシップ戦である甲子園ボウル やジャパンXボウル 、日本一のチームを決定するライスボウル といったボウルゲームでは地上波やBS中継放送が行われている。またその他のNFL、NFLヨーロッパ 、社会人のXリーグ 、関西学生リーグ、高校選手権クリスマスボウル のCS中継、関西ローカルではあるが学生・社会人の主要ゲームの地上波TV中継もある。国内試合は伝統的に関西地区での人気が高く、80年代の京都大学ギャングスターズ の全国制覇以後は、秋期の関西地区の主要ゲームには万単位の観客が集まっている。
また、NFL JAPANの協力もあり、週刊少年ジャンプ でアメリカンフットボールを扱った漫画「アイシールド21 」が連載され(「フットボール鷹」など、これ以前からも存在するがそれほど有名ではなかった)、テレビ東京 系列でアニメ化もされた。この影響もあってか、小学生におけるタッチフットボール の経験者数は増加傾向にあり、徐々にではあるが、競技人口の裾野が広がりつつある。
歴史
大学における発展
アメリカに初めて英国のフットボールが紹介されたのは、1867年であるとされている。始めたのはプリンストン大学 で、サッカールールのゲームであったが、プレーヤーの数は各チーム25人の計50人だった。続いてラトガーズ大学 でも、やはりサッカータイプのフットボールを始めたのだが、プリンストン大学とはルールが異なっていた。
アメリカにおける最初のフットボールの大学対抗試合(インターカレッジ・フットボール)は、やはり25人ずつのプレーヤーによるサッカータイプのゲームで、プリンストン大学とラトガーズ大学の間で、1869年 にニュージャージー州 のニューブランズウィック で行われた。この時にルールの統一を図り、ボールを持って走ることと投げてパスすることが認められた。しかし、この時点ではまだボールは丸いサッカーボールであった。そして、コロンビア大学 、プリンストン大学 、ラトガーズ大学 、およびエール大学 から成るインターカレッジエイト・(サッカー)フットボール・アソシエーションが、ルールを標準化するために1873年 に作られた。
一方、ハーバード大学 はこのグループに参加することを拒否。他の相手を求めてカナダのモントリオール のマギル大学 からの挑戦を受け、1874年5月14日、ラグビールールの試合を行った。ラグビーに限りなく近かったが、これが事実上、初めてのアメリカン・フットボールの試合だったと言えるのかもしれない。そしてその後も2校は、ラグビールールの下で、1874年 から1875年 にかけてシリーズ戦を行った。
ラグビータイプのゲームはまもなく他の学校にも流行りだし、そしてその後十年以内にアメリカンフットボール特有のゲーム形式は発展した。そして19世紀後半以来、アメリカンフットボールは大学のスポーツとして人気を博している。
ルールの整備
アメリカンフットボールの発展
前述の通り、現在の形式のアメリカンフットボールは、1874年
に行われたハーバード大学
とマギル大学
の試合に由来する。当初は原始フットボールのルールで行われていたが、次第にラグビーのルールが学生達に支持されて行った。しかし、ボールの所有権の曖昧さなどから、アメリカ独自のフットボール開発の気運が高まった。ラグビー選手として活躍していたウォルター・キャンプ
(en:Walter Camp
)
を中心に1880年にはラグビーでの「スクラム」から「スクリメージ」の変更がなされ、ボール所有権の明確化、1882年の「ダウン」制の導入がなされ、
初期のアメリカンフットボールが形を成した。1885年9月3日に最初のプロフェッショナル・フットボールゲームがプレーされた。
1913年、アメリカ陸軍士官学校 対ノートルダム大学 戦において、ノートルダム大学のガズ・ドライズ(en:Gus Dorais )とヌート・ロックニー(en:Knute Rockne ) がパスプレーを繰り出し、ランプレーと効果的に織り交ぜ、それまでほとんどランプレーだったアメリカンフットボールの戦術において革命を起こした。40 ヤードのタッチダウンパスを皮切りに、ノートルダム大学が得た5TDはすべてパスプレーによるもので、35-13で圧勝した。パスプレー(1回のみ前方に パスができるルール)は、1906年から認可されていたが、それまでは限定的にしか使用されていなかった。この歴史的ゲームは陸軍士官学校を舞台とした映 画「長い灰色の線 」の中で、当時最強チームの陸軍士官学校が無名のノートルダム大学に、まさに見たこともない新戦術によって大敗して呆然とするというエピソードで取り上げられている。
1930年代 になって、このスポーツでの負傷や事故の多さ(死亡例まであったという)から非難の声が高まり、ルールの転換、さもなくば廃止という事態に直面した。しかし、時のフランクリン・ルーズベルト 大統領の「このアメリカ独自の男らしいスポーツを、消滅させてはならない」との決断により、負傷軽減のための防具の整備(プロテクター類。初期のものは薄手で軽いものだったが、時代とともに頑丈になって行った)や、さらなるルールの改定が行われた。
日本における発展
日本では、岡部平太 が1917年(大正6年)留学先のシカゴ大学 でスタッグ教授よりバスケット・水泳・陸上競技と共にアメリカンフットボールを学んだ。実際に岡部は大学や近くのクラブチームでプレーを経験した(シカゴの地元新聞に顔写真付きの記事がある)。
岡部は1920年 (大正9年)に帰国すると、陸上競技コーチに就任した第一高等学校 (旧制) の「陸上運動部」や、東京高等師範学校 附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校 )の学生らにアメリカンフットボールを教えた。3チームが結成され、練習試合も多く行われたらしいが、翌年に岡部が新設の水戸高等学校 (旧制) に赴任したことや、当時は国内にボール製造メーカーが無く、輸入も難しかったこともあり、本格的な継続活動には至らなかった。 また、岡部は1925年出版の自著「世界の運動界」の中で、日本で最初と思われるアメリカンフットボール解説を書いている。
1934年(昭和9年)になって、立教大学教授ポール・ラッシュ と明治大学教授松本瀧藏 ら、日本に留学した日系二世 が中心となり、立教大学 ・明治大学 ・早稲田大学 が参加した「東京学生アメリカンフットボール連盟」(現日本アメリカンフットボール協会 、当事は東京学生米式蹴球競技連盟)を設立[2] 。同年11月29日には明治神宮外苑競技場 にて、学生選抜軍と横浜外人チームによる、日本で最初の公式戦が行われた。公式にはこれが日本に紹介された嚆矢とされている。ライスボウル で最優秀選手に贈られる「ポール・ラッシュ杯」はラッシュにちなむ。
第二次世界大戦 の影響で一時国内競技が中断された時期もあったが、戦後復活して現在に至る。日本はアメリカンフットボールの強豪国であり、1999年にイタリア で行われた第1回ワールドカップ イタリア大会で優勝、2003年の第2回ドイツ大会でも優勝、2007年の第3回日本大会でも準優勝を飾っている。
これら日本での発展の記録は、 立教大学アメリカンフットボール部の選手であった服部慎吾が手記として残しており、日本アメリカンフットボール協会のサイトで公開されている。








